2015年11月13日金曜日
本日の魔法の呪文 134
"ここで一つ、わたしたちにできる最善と思われるアドバイスを述べておきます。それは、「観念でセメントのブロックをこしらえることなかれ」ということです。
なぜならそんなふうになると、あなた自身が最後にはセメントブロックに取り囲まれ、箱詰めにされてしまう可能性があるからです。"
アセンションの時代 迷走する地球人へのプレアデスの智慧 バーバラ・マーシニアック
P137より抜粋
いじわるに響いてくる声は、全部ニセモノなのだな。
焦らせたり、自信を奪ったり、義務感をあおるのも。
そのことを忘れず、忍耐強く。
2015年11月12日木曜日
本日の魔法の呪文 133
"ちょうど我々が台所という作業場で玄米、人参、大麦、海塩、キャベツなどと向き合い親しくなったように、化学元素とも同じように親しくなる時宣であろう。"
エドワード・エスコー アレックス・ジャック著 七林 秀郷訳 Cool Fusion P36より抜粋
ポエマーとして世界を眺めたとき、
日常生活のありとあらゆる所作は、
大がかりなことと同じ構造をもっており、
操り人形を操る人形使いのように、それはお互い呼応する。
わたしが人形遣いにならなければ、わたしが操られる側になるのだ。
恐怖や嫌悪の気持ちというものは、どこに操らなくちゃいけない「力」があるのか、
気づかせてくれる。
それに気づいたら、下ごしらえからはじめて、ゆっくり夕飯をつくればいいのだ。
2015年11月10日火曜日
本日の魔法の呪文 132
"内面で向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。"
カール・ユング
結局、体力がたくさんあると、あちこち動き回って、いろいろぶちあたって、
それでやっと気づく、ということになる。
体力がないと、動き回れないので、とどまったまま、押し寄せてくるいろいろなことを
そのまま味わいながら、そのうちに、はっと気づく。
どちらがいいということはないけど、結果的に、同じことだなと思う。
よく、動いてみないとわからない、というけれど、
正しくは、感情を伴って、一日をちゃんと味わってみないとわからない、
ということだろう。
感情を静止させたまま、たくさんのことをさばいたところで、堂々巡りにしかならないー(笑)
2015年11月9日月曜日
本日の魔法の呪文 131
"憤怒の国の苦悶は、その君主の自己性の母であり、彼の神である。今や彼はその神が欲することをなさねばならない。かくして彼は善の敵である。というのも、愛は彼にとって毒であり、殺すものだからである。たとえ彼が聖なる力をもって光のうちに座するとも、やはり彼はただ毒の苦悶を自分のうちへ引きこむばかりであろう。
実際、毒の苦しみが彼の生命と自然であるであろう。ちょうど、蛙を砂糖壺に入れてみても、蛙はそこから毒ばかりを引出し、砂糖を毒にするのと同じである。"
ベーメ小論集 恩寵の選び(部分訳)-(助言-第5章) より抜粋 P216
このことを、裏返しに味わう、ということを、ずっと今までやり続けて生きてきたなぁと思う。
元素転換が、いちばんきめこまかく行われているのは、心の中なのだ。
そして、そこで転換できているならば、何も心配はいらなくて。
2015年11月7日土曜日
本日の魔法の呪文 130
"イエスが言った。「パリサイ人や律法学者たちは知識の鍵を受けたが、それを隠した。彼らも入らないばかりか、入ろうとする人々をそうさせなかった。しかしあなたがたは、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」
(トマスの福音書 39)
まず、「知識の鍵」とは何を指しているのであろうか。それはわれわれが神の国に入るマスターキーはただ一つしかない、それは自己認識であるということだ。
(略)
そこにもし誰かが介在してくるとしたら、
パリサイ人はもちろん、たとえそれが神であっても、
エックハルトがその神すら後にして行かねばならないと言い、
また禅が、師に会っては師を殺し、仏に会っては仏を殺すと言ったように、
認識への道を塞ぐバリアーでしかないだろう。
われわれは蛇のように賢く振る舞い、
鳩のように素直に「自己の本性」(『この世の起源について』)へと独り辿らねばならないのだ。
(略)
このように、安易に他者依存に流れることを許さないところに宗教における最も厳しい現実がある。"
可藤豊文 自己認識への道 禅とキリスト教 P245~6 より抜粋
このトマスの福音書も、ナグ・ハマディ文書に含まれる外典の一部。
マタイによる福音書にも、この蛇と鳩の話がでてくるのだけど、
どうにもこれだと、前後関係がよくわからない。
トマスの福音書でこうやって書かれてると、納得です。
「彼らも入らない」というのがポイント。
△の内側(パラサイト)にいる人は誰も∞がわからない、という話そのものかなと。
蛇のような賢さ、というのをいったいどこに活用するかというのがポイント。
他人に騙されないように、ではなくて、
最大の詐欺師は自分のエゴと検閲官。
究極的には、他人に騙されて、その結果が生じたとしても、
それは自分にとって「騙された」ことに、本質的にはならないんだなー(笑)
はは、やっぱり禅問答になってきますね。
2015年11月3日火曜日
本日の魔法の呪文 129
"この闇の世界のうちで、悪魔は自分が一つの神であると勝手に思い込み、これらの要素とともに、虚偽というその忠実な子によって、地上を統治する。虚偽は最初は着飾った子猫のようであり、口ではうまい言葉をかけるが、いつでも鼠をねらっている。この子猫は鼠をすばやく捕えることができ、それが焼肉を悪魔のところへもっていくことができるとき、それはどんなに嬉しそうであることか。これらの四つの要素によって、人間は取り囲まれ、この偽りの王の国を楢(すみか)にするが、これらの要素は四六時中、人間の心に向けて狙いを定め、その高貴な像を殺害しようとする。人間はこれらの要素に抗してつねに闘わねばならない。というのも、それらは彼のもとに、また彼のうちに泊り込み、たえず彼に突っかかり、彼の最上の宝物を潰滅させようとするからである。"
ベーメ小論集 ヤーコプ・ベーメ P132より抜粋
悪魔、という言葉を使ってしまうと、反射的に固定観念のイメージがばっとわきおこるので、わたしはあまり使いたくないのだけど、要は、多様性を阻害したがる存在が自分の中で幅をきかせてしまうことは危険だ、という話なのだろうな。
人間は、比喩ではなくほんとに、光っている、光のかたまりだと思う。
どんな人でも、微かにでも光ってるから生きてるんだ。
それを鈍らせようとする力に、自分で何か捧げ物をしてつけこませることを、
やりつづけたいのかどうなのか。
2015年11月1日日曜日
本日の魔法の呪文 128
"人類は自分たちの責任感を取り戻すだろう。何世紀も、私たちは責任を避けようとしてきた。けれども、私たちがすることは何であれ、つねにリアクションをひき起こす。私たちは原因と結果を免れることはできない。私たちは他者の失敗に対して責任を取る必要はない。私たちは助け、愛することはできる。しかし私たちは他の人の責任を肩代わりする必要はないのである。なぜならそれは責任を避けられるという彼らの幻想を助けることになるからである。このことは自分の子供たち、伴侶、親や友人に対してさえあてはまる。もしも私たちが彼らの責任を引き受けるなら、彼らは弱くなってしまうだろう。"
ドン・ミゲル・ルイス 恐怖を超えて トルテックの自由と歓喜へのガイド P298より抜粋
誰かの責任を、意味不明にひきうけているうち、自分に対する責任を忘れてしまう。
そして、いつのまにかそれを誰かにおしつけてしまう。
その繰り返しを絆と呼ぶのはもう嫌だ。
裁かなくていい、という話の核心そのもの、みたいな話で、
責任は個々が取ることに自動的になっているから、放っておけばいいのだ。
自分が生きていることに責任を持つって、いったいどういうことだろう?
このことはほんとうに深い。
2015年10月31日土曜日
本日の魔法の呪文 127
"「命というものは構造的にも機能的にも成長するもの、
という特徴をもっているが、
ネクロフィリアは成長せず、機械的なものだけを愛する。
ネクロフィリア的人格は有機的なものをすべて無機的なものにしようという動機をもち、
命を機械的なものと見なし、人間をモノのように見る。
命のプロセス、感情、思考をすべてモノに変換してしまう。
経験ではなく、記録が、そして存在そのものではなく、
所有することが重要だという。
ネクロフィリア的な人は、それが花であれ、人であれ、
とにかくその"モノ"を所有したときに自己実現ができたととらえるが、
そのような考え方は結果としてモノの所有が脅かされたときには
自らの存在そのものが脅かされる。
つまりモノの所有が脅かされるときは、
自らの世界というものが脅かされてしまうということに通じてしまう。」
フロムはさらに言う。
「そのようにして、統制を愛するようになり、統制は命を抹殺してしまう」
力をもつ者によって行われる抑圧は、ネクロフィリアそのものである。
死した者を愛するようになり、命への愛は育たない。 "
被抑圧者の教育学 パウロ・フレイレ 三砂ちづる訳
抑圧のツールとしての"銀行型"教育 P94 より抜粋
※ フロムとは、心理学者のエーリッヒ・フロムのことです
今日引用した箇所は、まあなんというか、身も蓋もない箇所ですけど、
これ、にこにこおだやかなふりをしている多くの人々の実体だと思います。
ハロウィンでオバケみたいな仮装やるけど、内面はあれそのものだろうという。
じゃあ、この先いったいどうしたらいいのか、という話は、そう簡単じゃないのはわかってる。
即席に効くものほど怪しいものはないのだ。
そやけど、わたしは息子と10年、おだやかに暮らしてきて、
アリス・ミラーが子どもを尊重して育てたらみんなイエスのようになるのだ、
と言っていたことがよくわかる。
息子をひいき目でみているわけではなく、
彼の自足している様子、それから、他のお友達との関わり方、
先生達や外の世界と、自分の世界の折り合いのつけ方、
これらが、ほんとうにいつも「∞」だ。
結局、この子育て10年間、わたしは彼と共に過ごし、
やっと、わたしの精神年齢が10歳までたどりついた、と言っても過言ではないかもしれない。
2015年10月30日金曜日
本日の魔法の呪文 126
"抑圧者であるエリートは、抑圧された者を踏みつけてネクロフィリア的に自らを養っていくのだが、革命のリーダーは人々との交わりによって、自らを豊かに養っていく。
それが、抑圧者がヒューマニストにはなりえず、革命家はヒューマニストにならざるをえないということの理由である。抑圧者の反ヒューマニズムにも、革命家のヒューマニズムにも科学がある。
抑圧者の科学は人間の「モノ化」に資するものであり、革命家の科学は人間化に資するものである。"
パウロ・フレイレ 被抑圧者の教育学 三砂ちづる訳 P216より抜粋
こういう視点からとらえたとき、果たして、ヒューマニズムに資する行動をとっている人がいったいどのくらいいるだろう?
一見自然や、弱者を守ろうとした動きであっても、それが「モノ化」=依存の助長
でしかないことって多いよねー
大人にならねば。
2015年10月29日木曜日
本日の魔法の呪文 125
"ごらんになった方ならばわかると思いますが、
ゾンビ映画の舞台になるのは、郊外型ショッピングモールが非常に多いのです。
(略)
ここまで"お約束"のように取り上げられるのには、ある"風刺"が込められているからです。
ゾンビというのはご存じのように「死人」です。
(略)
なにが言いたいかおわかりでしょう。ショッピングモールを生前の"習慣"で徘徊する死人の群れ。それはなにも考えず、ほしいものがあるわけでもないのに、休日になるとやってきて時間とカネを浪費している、われわれ現代人の姿を痛烈に皮肉っているわけです。"
日本の社会を埋めつくすカエル男の末路 深尾葉子 P148より抜粋
めでたいハロウィンシーズンですなー(厭味...
わたしは常々、アートとかファンタジーが、
現実逃避として使われるのがほんとうに嫌いなのです。
それでもいいのだ、それも受け手の自由とは思えない。
深尾さんが最後の方で、ひとりひとりが「生き残りたい」という強い思いを持ってほしい、
と熱く書きしるしてらっしゃるのに胸を打たれました。
タガメとカエルの話は、彼らを糾弾するために言ってるんじゃないんですよね。
このままじゃやばいからだという。。
そういうわけで、あきらめてしまわずに、ふんばって生きなくちゃとあらためて思う。
2015年10月28日水曜日
本日の魔法の呪文 124
"自分自身に正直であることと、私たちが信じるよう教え込まれてきた嘘を明るみに出すことには、勇気が必要である。自分の傷を暴くプロセスは苦痛に満ちているが、これが変容のマスターがストークするとき行うことである。"
ドン・ミゲル・ルイス 恐怖を超えて P122より
地を這っていたときにはどちらかを損なうことでしか存在しえなかったエネルギーも、
上昇してまざりあったとき、
お互いを損なうことなく、生きて華やかにお互いを引き立てる。
その上昇加減を、暴力を振るうみたいに、無理矢理やっちゃうと
まざらなくなるんだ。
日本の江戸時代なんかに盛んだった、直観重視な手相観の方法による型の分類は、
体系としてまったく整理されてなくて、一見支離滅裂。
一見カオスなもののなかに、そのときそのときに意味を見いだして、
まるで、星と星に線をひいて星座とみたてるみたいにやる力。
そのことへの信頼を取り戻す感じが、詩人っぽくて、ああいいなぁ、と思う
今日この頃。
2015年9月20日日曜日
本日の魔法の呪文 123
"池谷:心理学で有名なジェームス・ランゲ説では、悲しいから涙が出るのか、涙が出るから悲しいのかという議論で、「涙が出ているから悲しいのである」と唱えられていますよね。
認知的不協和というのもこれに似ていて、出力に対して、内面を合わせてしまう。
そういう面白い心理があって、そのあたりの研究は心理学でも一世を風靡しました。
鈴木:それは法律の実務でも実感します。法律相談がうまくいかないときって、たいてい法律的に答えるのが早すぎたときなんですよね。
池谷:いきなり結論を言ってしまう。
鈴木:ええ。相談者からすると、法律の議論そのものが気に入らない。だから、懇切丁寧に説明しても、もうその同じ説明は不快でしかない。私としては、何回拒絶されても、結論としてはそれしか言いようがないんだけどなと思いながら・・・。"
※ ジェームス・ランゲ説
身体的・生理的変化を認知することで感情が引き起こされるという心理学の理論。アメリカの心理学者W・ジェームスとデンマークの心理学者C・ランゲが唱えたためこの名がついた。"
和解する脳 池谷裕二×鈴木仁志
認知的不協和と「理」を使うタイミング P195より抜粋
この、出力に対して内面を合わせてしまう、というのは、
肉体の動きや本能に翻弄されている、
キネシス優位な人々に対してあてはまる話だなぁとつくづく思う。
この部分を読んでいて、ひっくりかえせば、理不尽な要求であっても、
相手の「気持ち」さえなだめれば無理矢理通すことは可能である、
という風に読めるなぁとあらためて思った。
実際、世の中のクレーム対応がまさにこれで、「気持ち」をいかになだめるか、だものね。
けれどあまりにそんなことばかりがまかりとおっていくと、
ある日突然全てががらがらと崩れる、そういうことになるしかないと思う。
2015年9月19日土曜日
本日の魔法の呪文 122
"最近はいろいろな文献が日本でも出版されるようになりましたが、それでも神秘学は概念としてまだ非常に不明確です。いわば生まれかかっている学問領域であるということができます。
ですから、そういうことに関わってしまうと、どうも人生の大通りを歩くことができなくなってしまって、自分で歩いている道が果たして確実な道なのか、それともとんでもない脇道なのではないのか、という疑問がどんな場合にもついてまわると思うんです。
回り道をしていろんなことをやることは、むしろ神秘学を志す者にとっては、かえっていちばんそれらしい道を歩いていることになるのかもしれません。
何がどこに通じているのか、なかなかわかりませんから。
予感とか憧れのような不確かな感情に導かれて歩かされることも多いのです。"
神秘学オデッセイ 精神史の解読 高橋厳+荒俣宏 P20より抜粋
この本は今わたしの大のお気に入りで、まだちょっとしか読めていないのだけど、
おもしろいなぁと思って適当に気に入ってRTしてきた画像とか、
エピソードとか、好きで断片を拾ってきた詩だとか、
そういったことが、別に誰かに教わってそれを拾ってきたわけじゃないのだけど、
神秘学というストーリーでとらえたらどまんなかだった、、、ということが、
この本で全部裏が取れます(笑)
シラーの第九の話も、神秘学の視点からみたらどまんなかだったのか、、、
わたしは先に、こういった「教科書」にあたらなくてつくづく良かったと思っている。
自分のアンテナにひっかかったものを自分で精査していく、この過程こそが学びの真の喜びだと思うから。
ですから、そういうことに関わってしまうと、どうも人生の大通りを歩くことができなくなってしまって、自分で歩いている道が果たして確実な道なのか、それともとんでもない脇道なのではないのか、という疑問がどんな場合にもついてまわると思うんです。
回り道をしていろんなことをやることは、むしろ神秘学を志す者にとっては、かえっていちばんそれらしい道を歩いていることになるのかもしれません。
何がどこに通じているのか、なかなかわかりませんから。
予感とか憧れのような不確かな感情に導かれて歩かされることも多いのです。"
神秘学オデッセイ 精神史の解読 高橋厳+荒俣宏 P20より抜粋
この本は今わたしの大のお気に入りで、まだちょっとしか読めていないのだけど、
おもしろいなぁと思って適当に気に入ってRTしてきた画像とか、
エピソードとか、好きで断片を拾ってきた詩だとか、
そういったことが、別に誰かに教わってそれを拾ってきたわけじゃないのだけど、
神秘学というストーリーでとらえたらどまんなかだった、、、ということが、
この本で全部裏が取れます(笑)
シラーの第九の話も、神秘学の視点からみたらどまんなかだったのか、、、
わたしは先に、こういった「教科書」にあたらなくてつくづく良かったと思っている。
自分のアンテナにひっかかったものを自分で精査していく、この過程こそが学びの真の喜びだと思うから。
2015年9月15日火曜日
本日の魔法の呪文 121
"インドの月神チャンドラは女神ではなく男神ですが、豊穣の神です。
ヒンドゥー教の創造神話「乳海攪拌」の時に生まれました。この月神
の名前チャンドラCandraは、サンスクリットで「月」の意です。時代が経つと、月の神は「ソーマ」と言われる神となります。
(略)
やがて月が水のコントロール(潮汐現象)に関係することから「月の神」と結びつくことになったようです。いつしかこれらが同一化され、チャンドラはソーマと同一神とみなされるようになりました。"
月の光で野菜を育てる 永田葉子 木谷美咲 P38より抜粋
チャンドラといえば、インド映画のミモラで、
満月の夜にアイシュワリヤ・ラーイが舞い踊る美しい映像を思いだすのだけど、
月が水のコントロールをになっているというポイント、
ごくごくあたりまえの話なのだけど、このことの大きさについてあらためていろいろ思う。
重力=引力+遠心力
重力は、赤道で最小、極で最大、
遠心力は、赤道で最大、極で最小
この問題と、憑依現象みたいなものと、潮の満ち引きみたいなものは、
かなり関連しているのではないかなぁと直感的に思う。
月の呪縛とは、体内の水分量の変化により、感情が翻弄され、気分に流されて生きてしまうということとほぼ同義だろう。
月関連の占いやらセラピーやら、そういったものがはたらきかけるのは肉体と、原始的な感情領域。人間らしい高次の意識状態は、むしろ月から自由にならないと無理。
重力と遠心力、陰陽論でいうならば陽性と陰性のエネルギーとも言えるのだけど、
物質領域での力が最大限に満ちている空間では、
まさに高次の意識状態がほんとうにないがしろにされる。
だからこそ、そういう空間に携わることで学ぶこと、鍛えられることもたくさんある。
今の職場は超重いものを扱う仕事なのだけど、そうでありながらも、
筋肉まかせになってしまわないでいることは、ほんとうにおもしろい。
2015年9月14日月曜日
本日の魔法の呪文 120
"次のことは肝に銘じていただきたい。完全な直観に到達しようと思うならば、正常なものと異常なものを同時に、揺れ動き作用しあっている状態で眺めなければならない。"
ゲーテ形態学論集 木村直司編訳 植物メタモルフォーゼ論の展開 P247より抜粋
夢占いのようなシンボル解釈を、
昼間の夢=日常に持ち込むやり方を、現象占いと言ったりする。
日常をシンボル解釈することはまさに、
正常と異常という風に裁かず、起こっていることに耳を傾ける感じがする。
シンボルを勝手に解釈したり、ファンタジーの世界を現実にあてはめるなと言われる理由は、
ゲーテがいうような、こんな境地で世界を受け止める力がない人達が、
焦って偏った意味に決めつけ、それに凝り固まってしまうからなのだろうな。
2015年9月13日日曜日
本日の魔法の呪文 119
"普遍的、自然的宗教は、本来信仰を必要としない。というのは、創造し、秩序をあたえ、指導する偉大な実在は、自己の存在をわれわれに理解させるために、いわば自然の背後にかくれているという核心、このような核心は各人の胸におのずと湧きでるものであるからである。
よしんば人間が、彼を生涯のあいだ導くこうした確信の糸を時として見失うことがあっても、彼はまたすぐに、いたる所で、それをとりあげることができる。"
ゲーテ 詩と真実 第一部 山崎章甫 訳 P233 より抜粋
15年前頃の仕事場と、今の仕事場でおおきく異なっている点があるとすれば、
作業をする人々が、勤務時間中に一息つける、というゆるみを全く許さない、というところが大きな違いだと思う。
昔は、忙しさに緩急があり、どんな職場であっても、ゆるみの時間込みで時給が発生していた。
それが、今は時給発生中は、息をとめたままずっと作業をし続けなければならない、
という職場ばかりだ。
いつのまにそうなってしまったのかわからないが、それがあたりまえになっている。
が、これが愚かだということは、ある程度人間らしさを持っている人ならわかるだろう。
今の推奨されている生き方は、力まかせに肉を食べがんがん働き、病気になったら
「よくやったね」と褒められがっつり金を病院に払って死んでいく、というものだろうけど、
仕事中にゆるみを許さないシステムを組んだ場合、
かならず、機械が誤作動したり、ケアレスミスが発生してその取り返しに余計に時間がかかり、
結果的に作業が滞る、というかたちでバランスをとることになる。
どうせ休むなら、健康で有意義にその時間を使えばいいのに、
身体を壊し、寝込んで身動きがとれない状態でしか休めない、、
そういう在り方がどんどん極まって、究極的になってきていると思う。
そういう状態も全部踏まえた上で、淡々と醒めた状態でいつも自分でい続けたい。
2015年9月12日土曜日
本日の魔法の呪文 118
"ナメクジたちは、その畑から墓場のような雰囲気を払拭するのを手伝おうと、やってきてくれるのです。そして昔のようにナメクジが少ししかいない、調和のとれた環境を再生するには、何年もかかることが少なくありません。"
マリア・トゥーンの天体エネルギー栽培法 P92より抜粋
土地や天体の力を最大限に利用し、
それに沿ったかたちで自然に作物が実りやすくするというのは確かにそうなのだけど、
さらにそれを越えて、
農業に従事している人の個性が作物におおいに影響する段階があるのはほんとうに不思議。
アナスタシアの畑のやり方もそうだし、
土地としては劣悪な環境なのに豊作になったというフィンドホーンの話、
それからりんごの木村さんが、りんごの木にいつも話しかけているということ、
これらの、人間が自然の一部であり、
それぞれの個性というものと環境は相互に影響し合う、
ということにもっと自覚的になったらおもしろいのになぁと思う。
畑やガーデニングといった場面だけでなく、
日常的に都会で暮らしていても、この環境と人との相互作用というものは必ず起こっていて、
気象に強く影響を及ぼしている。
家について、屋根の下に入ったり、洗濯物をとりこんだ瞬間に雨がざーっと降り始める、といったこともきっと、個人の念と気象との関連があるとわたしは思っている。
月の影響に翻弄されっぱなしであるということは、
パラサイトに翻弄されたままであることときっと同義だろうと思うけど、
そこから抜けたとき、どれだけエネルギーを吸われていたか、自分を抑えつけることに自らエネルギーを使っていたかに気づくと言われている。
意志を持って生きるというけれど、
この墓場のような雰囲気を払拭してくれよう、と外部から自然に課題がやってきたとき、
その課題から逃げ回り、墓場を温存しようと強烈な力を注ぎ込むようなことをやらかしてないだろうか?
神は乞食の格好をしてやってくる、という比喩があるけど、
外部からやってくるようにみえる、パラサイトに打ち勝つためのトリガーは、
たいてい自分にとって苦虫をかみつぶすようなものであることが多い。
そのトリガーにちゃんと向き合うことができたら、
ナメクジを永遠に駆除しつづけるような人生から脱することができるのだと思う。
2015年9月11日金曜日
本日の魔法の呪文 117
"精神科学における方法、因果性はすべて忘れること。その代わりに、出来事の諸要素を分析すること。重要なのは、諸要素が急に結晶した出来事である。私の著書の標題は根本的に誤っている。『全体主義の諸要素(The Elements of Totalitarianism)』とすべきだった。ハンナ・アーレント 『思索日記Ⅰ 1950-1953』
全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分がおこなったことと自分の身に降りかかることとの間には何も関係がない。すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は、家族・友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われた。自分がおこなったことと身に起こることとの間には何の関連性もない。発言する権利も行為の能力も奪われる。行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。
(略)
さらには、肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊される。
個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊となる、とアーレントは書いた。
自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障碍となりうる。独裁や専制と違って、全体的支配はすべてが可能であると自負し、人間の本性を変え人間そのものへの全体的支配を遂行した。「不可能なことが可能にされたとき、それは罰することも赦すこともできない絶対の悪となった」のである。"
矢野久美子 ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 P104、P112-113より抜粋
※標題とは、彼女の代表作「全体主義の起源(The Origins of Totalitanism)」について
右も左も結局のところ、やっていることは同じ、
というのは、アーレントによる説明でも明らかになりますね。
この「不可能なことが可能にされたとき」という言葉の意味をどれだけ受け止められるか。
自然は本来容赦ない側面がたくさんある。
土地によって優劣がある。個体によっても優劣がある。
その優劣というのは、ある一定の文化という枠組みがはめられたときにそうなるだけで、
その枠組みをとっぱらえば、劣が優になることだってある。
欠点は長所。
けどそれは、欠点で痛い思い苦い思いを引き受けることができるから、
長所としても生きるのであって、欠点をしりぬぐいしてもらうようではそうはいかないのだ。
その、欠点で痛い思い苦い思いを味わうことを「傷つく」「不平等」とか言って、
差をなくしましょう、土地による優劣、
個体による優劣を人為的にとっぱらうことで「平等」に幸せになれ、
とやってしまうことの悪夢を、わかっていないひとがとても多い。
そういう意味で、不便を不便のまま引き受ける強さってほんと大事よね。
2015年9月10日木曜日
本日の魔法の呪文 116
"この時代、人類はついにその子供時代を去り、成熟へと向かおうとしている。彼らはより明晰になる。彼らの理性はその直観に道を明け渡す。彼らの夢の見方は変わりつつある。恐怖は理性と精神の成長のために必要であった。理性は直観のために精神を準備させたのである。
人間は多元的な存在である。肉体と精神に加えて、わたしたちは皆太陽からの光によって形成される。人間の本当の核は、太陽と結びついたパーソナルな光線である。それゆえ、一人の人間に起こることはこの光によって太陽の知るところとなる。個人に生じるどんな変化も太陽に影響を与え、それを受けた太陽の反応が残りの人類に影響を及ぼす。これが人類進化のプロセスである。"
恐怖を越えて ドン・ミゲル・ルイス P290より抜粋
恐怖というものが、理性と精神の成長のために必要であった、というこの箇所、すごく共感する。
なに故に、多くの人よりも恐怖に直面する生き方ばかりを知らず知らず選んできたのか?
それはわたしが、
無鉄砲に、生意気に、
ただただほんとうのことが知りたいという強い欲求に突き動かされているが故なのだろう。
ほんとうのことを知るためには、成長が必要。だから恐怖も。
そんなことを思うのでした。
恐怖をちゃんと味わわない、ということが、
いつまでも恐怖をちらつかされてコントロールされる源でもあるよね。
いいもん、恐怖を味わってもかまわない、という開き直りは様々な場面でとても大事。
群れでしか行動できない多くの日本人の課題はここなんじゃないの。
2015年9月6日日曜日
本日の魔法の呪文 114
"「空海」とは、限りなくゼロであり、無限だということである。枠外しということである。本当の意味での平等とは、自分が向き合う人をある枠付けしたフレームから見ている限り果たしえない。国家であり、民族であり、宗教であり、性別であり、貧富でもある。
私たちは自分のアイデンティティーを語ろうとするとき、何らかの枠の範囲内にある自分の所属性に頼ろうとする。しかし、その所属性が引き裂かれているマイノリティーの人々も大勢いる。そうした難民の数がますます増えていることも、戦火が絶えない原題に暮らす私たちは知っている。
枠のない平等な世界などこの世にあったためしはないし、理想の産物だとも言える。不可能という言い方もある。二〇〇一年から始まった新たな「戦争」は、人間にとってこの理想がはるか彼方にあることを如実に示しているように思う。もとより、文字通り枠を外して生きることは困難だ。外側から規定されたアイデンティティーではなく、みずから「おまえはいったい誰なんだ」という絶望的な問いを絶えず自分に突きつけながら生きてゆくしかないからである。
それを行おうとしたのが、実は空海だったのではないか。
枠とは、実は外側にあるのではなく、自分の心の中にある。
自分の表皮を一枚一枚めくって削ぎ落としていった時、私たちはたまらない不安におちいる。そして、ふたたび、皮をまとって自分と他者を区別し、差別する。人にとって、自分の心の枠を外そうとすることは、みずからの崩壊につながるほど恐ろしいことなのだ。
その不安な作業を、終生、行っていったのが空海ではなかったかと思う。"
『空海の風景』を旅する NHK取材班 P307~308より抜粋
枠の中にいたいと思っている人に対して、枠があるよ、あなたは枠のなかにいるよ、
という話を決してしてはならないそうだ。
このことは、枠の存在を知っている賢者は口を揃えて忠告する。
そやねんけど、枠の中にいることがかなり危機的な時代に突入してきている今、
言わずにはいられない。
そして、そこに向き合ってとっくみあわずにいられない、、
そんなことを思うのだけど、それでもみんな優しいハーメルンについていきたいのだろうな。
空海について書かれているこの箇所で、皮という比喩がでてくるけど、
とても枠、土星的な話やなぁと思う。
蠍座の最後の土星、もう生きている間に味わうことはもうない。
(いや、、、あと25年ほどしたらまたやってくるな、、)
どちらにしても、
しっかりと、パラサイト=枠の内側の世界のことを、身体に焼き付けて忘れないでいよう。
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