2015年6月16日火曜日
本日の魔法の呪文 38
"人間の心の非合理性に寄与する因子の一つに、身体的基盤のちがいから起こるメタファーどうしのぶつかりあいがある。"
共感覚者の驚くべき日常 リチャード・E・シトーウィック より抜粋
自分の中で、
イメージングと言葉がしっかり結びつき、
脳内で既知になっているはずのものを、
多くの人は無造作に、そのことを検証することはあまりないように思う。
これだけ情報が多い時代、
脳内のみの検証で、
いろいろなことをわたりあるくのはとても簡単で、
評論家もどきみたいな人がそこらへんに雨後の筍みたいにごろごろしている。
「ああもうこれこのあいだ見た。知ってる」と感じない言葉って、いったいどのくらいあるだろう?
生きるということは、この
「ああ知ってる」
という、脳内で既知になってるはずのエネルギーが、
実際に目の前に繰り広げられ、
身体に違和感を感じるのかどうかを確かめる連続なように思う。
そのイメージングから脳が反応していたイメージと、
実際に繰り広げられたものを味わったときの体感に
強い一致・共振がみられたとき人は腑に落ちる。
そして、そこに違和感があるとき、
自分はそのエネルギーについてまだ馴染めていなかったんだな、やりなおしか、、
ということを悟る。
理解している人のそばで一緒に過ごしていると、
その構造が伝染してくるので、
超高速で「なんかわたしも理解したつもり」、になることがある。
そして、その人からはなれてひとりになって、
そこからがスタート。
まったく手がかりがないままよりも、
一度そうやって「ごっこ遊び」として仮想理解したことは、
決して無駄じゃない。
だからあそびをせんとやうまれけむ、なのですねー^^
2015年6月10日水曜日
本日の魔法の呪文 32
"メタファー的な理解とは、
似ていないように見える対象のあいだの類似性を感知する能力である。
アリストテレスの言葉にもあるように、
「メタファーによって、新奇なものが理解しやすくなる」"
共感覚者の驚くべき日常 リチャード・E・シトーウィック 山下 篤子 訳 より抜粋
メタファー(比喩)的な理解がうまい人は、
おそらく何を見ても感じても、
言葉の背後にあるエネルギー状態で
直観的に世界をとらえる力が強いのではないかなと思います。
ひとつのことをたくさんのメタファーで多角的に言い表し、味わい、
それを他者とわかちあいたいと望む人もいれば、
全く逆のベクトルとして、
背後は実はがらんどうなのに、
口先だけでキラキラした言葉を並べ立てて気を引き、
あたかも背後に素晴らしいエネルギーがあるかのように演出する人もいます。
けれど、その背後のエネルギーを感知したいと思わない多くの人々は、
悲しいことに後者の人々の言葉をありがたがり、真実だととらえます。
セールストークや政治は後者ですね。
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