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2015年7月28日火曜日

本日の魔法の呪文 80


"心地よいと感じるよりも少しでも速く動いているのに気づいたら、
その背後に何がひそんでいるか確かめてみよう。
学校で「速ければ速いほどよい」と教わらなかっただろうか?
仕事や日常生活での圧迫感から、
なにごとも速くすませるようになってしまったのだろうか?
その時、どんな感じがするだろうか?"

近視は治る ジェイコブ・リバーマン著  飯村大助 訳   無理なく学ぶ方法 P292より抜粋



速く動くことに慣れすぎている。
何か違うなと思っても、動かないで立ち止まることはほんとうに勇気がいる。

立ち止まって、速さを放棄したとき、
一瞬、まわりから置いて行かれてしまったかのような錯覚に陥る。
不安や恐怖が渦巻く。

けれどそれらは単なるがらんどうの幻想。
いろいろな不穏な気持ちが渦巻くまま、そのまま内なる目を凝らし続けていると、
だんだんと自分との同期が取れてくる。

不穏だったのは、速く動きすぎて、自分と切り離されていたから。

2015年7月21日火曜日

本日の魔法の呪文 73


"私たちの教育制度は、
標準化した学習プロセスに子供の心を順応させようとする
(眼科医が私たちの視力を正しく「矯正」するのと同じことだ。)
この制度は自分なりの意味や目的を見つけようとする子供の欲求を否定する。"

近視は治る 心と視力のメカニズム  ジェイコブ・リバーマン 飯村大助 訳 P277より抜粋

かなりゆるめていた眼鏡の度数を、またさらにゆるめてみた。
乱視を全くいれず、近視の度合いもかなりゆるいままにしてもらった。

そんなわけで、かなり裸眼に近い状態。

最近文字入力の作業が続いていたので、メガネをかけている時間が長く、
そのせいでかなり疲れていたということに気づく。

まだ新しいレンズに目が慣れないけれど、
きゅっと締めつけられるようなしんどさ、視野や考え方が一気に狭まる感覚が、
かなりましになったように思う。

目の機能を補って甘やかすことをやめるということは、
逆に心を解き放し、ゆるめることになる。

何がほんとうの意味での優しさや快さなのか、あらためて問い直したい。






2015年7月3日金曜日

本日の魔法の呪文 55


もう一度学校に通っているようなものだった。
今回は自分が教師でもあり、生徒でもあった。
学びというものが本当はどのように起こるのかがわかり始めていた。"

光の医学  ジェイコブ・リバーマン 飯村大助 訳 P189より抜粋

こないだからずっと、偶像崇拝、記号について考えているのだけれども、
それがいけない理由の根源は、
魂と、物質がきちんと連動せず、
連動してるつもりになって増殖していくことに加担するからだ、
ということが最近ほんとうによくわかる。

このことは、ありとあらゆる場面で、
ミトコンドリアのように同じ構造があり、
この連動をしていないものが偽物であり、
連動しているものが本物である、ということ。

そういう意味で、
いくらいろいろな宇宙の法則が体系化されたものがあっても、
それをかたちだけなぞったところで、理解できるわけがないのだ。

だから、もともと教えを説いた本人はちゃんと理解していたのに、
広められたメソッドが下手したら害悪にしかならない、ということが起こる。

体系化を自分でやるからこそ、
魂と物質の連動が生じて本物になるわけで、
他人が体系化したものを、
他人仕様になってる順で教わったってぴんとくるわけがない。
ぴんときたつもりになり、
死骸残骸な知識ばかりがやたらと増えるだけになるのだ。

どうやって体系化するのか、について、
それをそれなりに試行錯誤して生きている人のそばにいって感染させてもらうこと。
これが一番生きた学びになる。
その精度が高ければ高いほど、
「今学んでる」
ということすら頭によぎらないくらい
自然な動きになる。
だから、先生と生徒、みたいな仰々しい役割分担すら生じない。


自由な学びをする理由に、
どこか今の世の中で出し抜いてやれ、という欲があるなら、
それは必ず失敗するだろう。


自由に子どもを学ばせる、ということの最終目的に、
そうした方が学歴が結果的に高くなるだろう、
という欲をちらつかせないでいられる親が、
どのくらいいるだろう?


どうせ大人になったら、
記号に徹して真っ暗な人生を歩むものなのだから、
子どものときだけ、思い出としてのびのび自由な保育を、
みたいな話をよく耳にするけど、反吐が出るよ。


そういうことに、「自由な教育」が持ち出されるのなら、
そういうことに手をださないでいるより、
余計にひどい偶像崇拝そのものだと思う。


学びというものはそんなものじゃない。
自分のストーリーを放り投げず生きるってそんなことじゃない。

2015年7月2日木曜日

本日の魔法の呪文 54


"光は主要な栄養の一種であり、
体に直接影響を与えると同時に、
食物を通して間接的にも影響を与える。
たいていの食物は、固体の形をした光といってよい。
(略)
食物連鎖の度合いが低ければ低いほ
(すなわち、食物が直接光からつくられている度合いが高ければ高いほど)、
光の力が十分に得られる。"

ジェイコブ・リバーマン 飯村大助訳  光の医学   P174より抜粋

カラフルな食事を意識すると、
すごく体が満足するなぁと思います。
実際、いろいろな色が揃った食事は、栄養素もちゃんと揃っていて良いらしい。
たぶん酸化を防ぐ栄養素がたくさん含まれるのだろう。

そんなカラフルな食事が美味しいなと思えるときは、
自分を大事にしていて、まわりともあたたかく関われているときなのだと思う。

2015年6月3日水曜日

本日の魔法の呪文 25



"未来における<本物>の医療は、
心と体と魂の結びつきを認識して、
それを一つのものとして扱うことになるはずだ。"

ジェイコブ・リバーマン 光の医学 第15章より


今日はほんとに言葉がみつかりません。

この状態は、もやもやしてるものがあるのに整理がつかないときと、
反対にもやもやがまったくなくて、澄みきっているというときと、
両方のときにあるなぁ、と思います。

2015年5月13日水曜日

本日の魔法の呪文 4



"おおいに喜び、
おおいに苦しんだからこそ、
私の人生の傷は洗い落とされ、
眼のくもりはとれた。
私たちは、自分のものの見かただけを頼りに
現実を「人工着色」して見るのではなく、
誰一人としてたどり着いたことのない世界から
見なければならない時代に入っている。
長年にわたる個人的な経験から、
私はこうした洞察に至ったのである。"

ジェイコブ・リバーマン 光の医学 より

癒えるということは、嫌いな色がなくなること。
嫌いな色を好きになる、愛せるようになること。

フルスペクトルの太陽光をせっかく浴びても、
その中に含まれる嫌いな色の波長やエネルギーを、
わたしたちは知らず知らずはねのけて生きています。
そのことで、結果的に体調が悪くなります。

嫌いな色について、どうして嫌いになったのか、
そこに向き合うことができたら、もう嫌いじゃなくなります。

その過程は決して楽ではないけれど、
そうやって少しずつ、自分の真我からのドリーミングを
取り戻していくのだなぁと思います。