2015年8月28日金曜日
本日の魔法の呪文 106
"盛運の家でも、庭に築山・泉水などのある家は、
それ以後衰運に向うことはあっても、それ以上盛運になることはない。"
食は運命を左右する
水野南北著 玉井豊一郎 訳 P56より抜粋
物質領域と精神領域で、二本立てで陰陽がなりたっており、これらは反対になる、
ということに気づき始めたのは、
食と占星術の関連性を実例と共に観察しはじめてからだったのだけど、
このことは風水などとも非常に関連してくる。
今回の引用箇所で、
どうして庭にこういった一見ラッキーアイテムみたいなものを置いたらあかんのか、
ということは、それを物質領域で、本人のストーリーと関係なくぶったてることが、
かえってその人のエネルゲイア領域(精神領域)を阻害し、結果的に運命が傾く、
という陰陽の法則そのものだと思う。
これと同様、どうして肉を食べるとあかんのか、という話を
この方向で解析していったとき、
血という、まさに自分の心と肉体の相互作用、
ストーリーの結果生まれた結晶のようなものを、
他の動物がそうやって生み出したものを横取りしていただくからではないか。
その様子がまさに、庭にラッキーアイテムを唐突に持ち込む様子そのもの。
旧暦八月にうちの近くの神社でも放生会があるけれど、
そんな風にお祈りしたりしてすむレベルじゃないのだ。
日本人はもともと菜食文化が長い地域に生きてきており、
その結果、炭水化物メインの暮らし=脳が大きい民族だ。
にもかかわらず、世界で一番質の悪い肉の食べ方をしている。
(脂肪が多い箇所を喜んで食べるのを好み、野菜と合わせて食べたり、毒消しをしながら食べたりということがあまりない)
そういうわけで、世界で一番、ほとんど狂牛病のように、脳がおかしくなっているのは、
日本人じゃないのかと思う。
全員が狂えば、まともな人が狂人扱いされるのはあたりまえだ......
2015年8月27日木曜日
本日の魔法の呪文 105
"易の言葉に「方以類聚,物以群分,吉凶生矣」
(方は類をもってあつまり、物は群をもって分れ吉凶生ず)
というのがある。
もともと天地の陰陽には吉と凶などなく、
形と心をもつ人間によって、初めて吉凶が生れるというわけである。
P65
【問】「私は食を慎しむことはたやすいけれど、遊所行きを止める事は難しく悩んでいます」
【答】「それは大いに結構なことだ。何と言っても慎みの第一は食である。
遊所に行って散財し、放蕩と言っても、
食を慎んでいれば家が失くなったり、病気になることはなく、
長生きしておのずから富むのである。
食は本である。
その本を厳しく慎めば外のことは枝であり論ずるに足りない。
今後とも食を慎んで遊所に行きなさい。食を慎んでさえおればすべての凶悪は許される。
P77
食は運命を左右する
水野南北著 玉井豊一郎 訳
水野南北の、この玉井氏による訳は、100%賛同するわけではないけれど、
陰陽論としてみたときに理に適った説明がいくつかあるので抜粋してあげてみる。
1つめ、P65からの引用は、
結局、自分側が電極としてプラスかマイナスかどちらなのかによって、
外的要因が自分とあわさったときに、結果どう作用するかは変わるということだと思う。
万人にとっての同じ結果をもたらす外的要因というものはないのだよね。
2つめ、P77からの引用、
これ、わたしの見解としては、ほんまに菜食が美味しいと思えるならば、
遊所に通うことが楽しいと思えなくなるはずやねんけどな、、、
金で買える肉体の快楽(プラスエントロピー)が心地よいということは、酸化のエネルギー
(心と肉体が分離したエネルギー)が心地よいと思っているということ。
いくら菜食をしていたところで、ほんとは肉が食べたい人なんじゃないのか?
そういう気持ちなのに、かたちだけ肉を避けたところで、作用は形骸化してしまう。
まあ、確かに後半に書かれている、
食以外のことは枝であるというのはまさしくそうで、
ここがちゃんとしてる人は、
なーんも説明がいらん。勝手に悟っていく(笑)
健康に良い、とあたまでっかちに菜食をはじめた人ではなく、
まずくて、においが気持ち悪くて食べられなくなった系の人々はとくにそうだと思う。
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