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2015年9月5日土曜日

本日の魔法の呪文 113




"ユダヤ人は肉を食べるときは、その肉からすべての血が覗かれていなければならない。生命は血である。魚や獣肉を食べるとき、その血は一〇〇パーセント取り除かれているので、ユダヤ人の食べる肉は非常にかわいている。動物を撲殺すると血が固まってしまうので、そういう殺し方は決してしない。電気で殺すようなことも、血が固まってしまうので絶対にしない。

ユダヤ人はむかしから動物に痛みを与えずに血を全部取り出す方法を考えている。まず動物を殺してから肉は三〇分間水につけられ、岩塩をふりかけられ、その塩が血を吸い出す。塩をまくと塩の回りに血が吸い出されて、みている間に赤い血の輪ができるのがわかる。"

ラビ・M・トケイヤー 加瀬英明訳  ユダヤ五〇〇〇年の知恵 P179~180から抜粋

この箇所を読んでいてまっさきに思い浮かぶのが、これと反対のものばかりを食しているドイツのふつうの食生活のことだ。ソーセージというのは、ほぼ血だけでできているものもある。そういうタイプのソーセージは、日本ではあまりみられないかもしれないけど。

そういうものばかり食べる人々と、そういうものは徹底して除去して食べる人々で、
意識に差ができてくるのは当然。


営業ノルマがきつい職場で働いていたとき、
とても可愛らしく、部署のアイドルみたいなリーダー格の女の子がいた。
彼女はクレーム対応やら、うまくまるめこんで成績をあげる話術に長けていたが、
その可愛らしさというのは、魅惑というニュアンスでいえばそうだけれども、
人間としてみたときに、時にぞっとするくらい不気味な目の光り方を見せる子だった。

その彼女が大好物だったのが、ユッケ。生肉。

彼女の、ビジネスにおける敏腕スキルは、
ある意味、血を介して、パラサイトから与えられた力だったのかもしれない。
そしてその代償として、魂がどんどんすさんでいく。

2015年8月28日金曜日

本日の魔法の呪文 106



"盛運の家でも、庭に築山・泉水などのある家は、
それ以後衰運に向うことはあっても、それ以上盛運になることはない。"

食は運命を左右する
水野南北著  玉井豊一郎 訳 P56より抜粋


物質領域と精神領域で、二本立てで陰陽がなりたっており、これらは反対になる、
ということに気づき始めたのは、
食と占星術の関連性を実例と共に観察しはじめてからだったのだけど、
このことは風水などとも非常に関連してくる。

今回の引用箇所で、
どうして庭にこういった一見ラッキーアイテムみたいなものを置いたらあかんのか、
ということは、それを物質領域で、本人のストーリーと関係なくぶったてることが、
かえってその人のエネルゲイア領域(精神領域)を阻害し、結果的に運命が傾く、
という陰陽の法則そのものだと思う。

これと同様、どうして肉を食べるとあかんのか、という話を
この方向で解析していったとき、
血という、まさに自分の心と肉体の相互作用、
ストーリーの結果生まれた結晶のようなものを、
他の動物がそうやって生み出したものを横取りしていただくからではないか。
その様子がまさに、庭にラッキーアイテムを唐突に持ち込む様子そのもの。

旧暦八月にうちの近くの神社でも放生会があるけれど、
そんな風にお祈りしたりしてすむレベルじゃないのだ。

日本人はもともと菜食文化が長い地域に生きてきており、
その結果、炭水化物メインの暮らし=脳が大きい民族だ。

にもかかわらず、世界で一番質の悪い肉の食べ方をしている。
(脂肪が多い箇所を喜んで食べるのを好み、野菜と合わせて食べたり、毒消しをしながら食べたりということがあまりない)

そういうわけで、世界で一番、ほとんど狂牛病のように、脳がおかしくなっているのは、
日本人じゃないのかと思う。

全員が狂えば、まともな人が狂人扱いされるのはあたりまえだ......

2015年8月24日月曜日

本日の魔法の呪文 104



"過去にとらわれている人間がまぎれもなく過去を一切持ち合せていないことは、
奇妙な矛盾である。
そうした人間は原初的な苦痛によって、過去から切り離されているのである。
そこで彼は、自分の歴史を無意識のうちに毎日、行動にうつしつづけなければならない。
それがために彼は、生涯を通じて大きく変ることはない。
彼は四十歳になっても十二歳のときとさして変わらない。
彼は自分の闘争のなかを左右にぬって歩き、
神経症的な儀式をおこない、
一言ごとに自分の神経症のことを臭わせ、
小さなときの家庭の状況を再構成する新しい種をたえず見つけ出している。

正常な人間は歴史を、自己の連続性を、持ちそなえているし、
それは苦痛によって短絡していない。正常な人間は、自分のすべてを持ちそなえている。"

アーサー・ヤノフ 原初からの叫び P350より抜粋

わたしが小さな頃から、脳裏にいつもちらついていたのが、巻物のような年表のイメージであり、
そしてそれは20歳をすぎたあたりからぷっつりと闇の中に溶けてしまい、そこから先がない、というものだった。
そのあたりまでは精巧に予定が組まれており、実際そのとおりにばかみたいに歩んだ。
そして、そのとおりに、ぷっつりとその先がなくなった。

今思えば、パラサイトの巻物だったのかもしれない(笑)

その頃までの人生と、その後の人生に、わたしは連続性がない。

息子との暮らしの積み重ねは、100%わたしが納得してずっと積み重ねてきたものだ。
産むときから、全部自分で納得した上で生み、そのことで生じた不利益や大変さを全部引き受けてきた代わりに、その果実も全部得てきている。

積み重ねることの尊さやあたたかみというものを、わたしは20歳をすぎるまで知らなかった。
いつもいつも、すりかえることで様々なことが断絶され、すりかえることでほっとする、
その連続で生きてきたからだ。


息子との暮らしが長くなり、わたしが時々、彼との暮らしにおける連続性を軽視しすぎるときがあるのだけれども、息子は等身大に、その尊さをかたときも忘れていない。

その証拠は、わたしがだめな母親であろうと、優しい母親であろうと、怒りん坊であろうと、
彼はいつもわたしに信頼を寄せてくれている。

あたたかな積み重ねというものは、やったらやった分ちゃんと報われるよ。

2015年8月17日月曜日

本日の魔法の呪文 97


"一般にアラブの貧困国では、獣肉は大変な贅沢品である。
普段彼らが食べているものといえば、
豆の煮込みとトルシー(野菜の漬物)とパンくらいのものである。
ネパールではダル(豆カレー)とタルカリ(野菜の煮物)とコメである。
興味深いことに、それらは日本の「味噌汁、漬物、白飯」の組み合わせと見事に一致する。"

ハビビな人々 中山茂大 P144より抜粋

いつも思うけど、ベジやってると、多くの人々がご馳走、と思うものがご馳走に思えず、
貧しい粗末な食事、と言われているものが美味しくてたまらない。

この本には、バングラディッシュの話もちらっと触れてあり、
バングラディッシュの青年にとっつかまると、
祖国賛美をえんえん聴かされてうんざりする(国土として何も自慢できるものはないくせに)、
といったエピソードが書いてあるのだが、
わたしも昔の職場でバングラディッシュ人と働いたことがあり、
彼のきらきらした瞳と、自分の家族と国が大好きでたまらない、
といった素朴で熱い心にとてもびっくりした覚えがある。

今の日本に欠けているのはこの感覚やなぁとほんと思う。

どうして彼が、てらいもなく家族や祖国が大好き、と口にできるのか。
わたしたちはどうして、それができずに一瞬ひるみ、曖昧なほほえみを浮かべてしまうのか。

あらためて、ほんとに次の世界へ行きたいならば、
立場を変えることで(下克上(笑))は何も解決しない。

今いる立場で、それぞれがいる立場で、この状態に対する認識を変えていく、
それしかないんだろうな、とあらためて思う。

立場を取り替え、すりかえることをしないことは怠慢だ、努力が足りない、
という文脈で、散々責められてきた人はとても多いように思う。
あるいは、立場を守り、あけわたすな、
ということだけを徹底するように言われてきた人も同様だ。

問題の核心は立場をどう扱うか、にはなくて。

朝三暮四のように、立場を切り換えたところで、あるいは立場を守るために
小手先の変化でめくらましをしたところで、、

支配被支配の世界では、どこにも愛はないのだ。

2015年7月13日月曜日

本日の魔法の呪文 65



"そういう点では、
ヒドリはかならずしも花巻地域で使われていた局地的な方言ではなく、
もっと一般的に使われていた公用語であったと、
こう結論しているんです。
この和田文雄さんの意見はきくべきだと思いますね。
説得力があるし、いろんな広がりをもっている説だと思う。
それから、例の「雨ニモマケズ」の詩ですがね、

ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

この文章についても、
ヒデリのときは涙なんか流さないはずだ、といっている。
日照りのときは決して農民というのは涙を流さない。
もっとも極端な日照りのときは減収に繋がるかもしれないけれども、
水田の場合はかならずしもそうはいえない。"

デクノボー 宮沢賢治の叫び 山折哲雄× 吉田司 
P230 第六章 「銀河鉄道」で行きたかったところ より抜粋


この山折さんと吉田さんによる対談形式ですすむ解説本、
いろいろおもしろい考察が書かれていてふむふむ、
と読んでいました(わたしにはよくわからない用語もたくさんですが、、)

この中で、「ヒデリ」ではなく「ヒドリ」ではないか、
ということが書かれている箇所を抜粋してみました。

ヒドリ、というのは、当時の日雇い労働のようなもので、
ほとんど公共事業の原型のようなものらしい。
そういうことをしないと食べていけないことへの哀歌、
という位置づけでこの詩を読むと、
確かに納得がいくようにわたしも思いました。
(とはいいつつ、賢治はいいとこの坊っちゃんですからね、、、)


そして、この水はけがわるい土地では、かえって日照りの方が収量が上がる、
というのもすごくよくわかります。
水はけが悪い土地で栽培するのって、ほんと大変ですもん。。。
以前借りていた家庭菜園がまさに、水はけがとても悪かったので、
植えられるものが限られていたことを思いだしました。


この「ヒデリ」という言葉へのまちがった解釈だけでなく、
宮沢賢治を美化する理由のひとつに、ピュアさがあると思うのだけど、
あらためて、うーん、どうなんだろう、、と唸ってしまった。


わたしが女性であるからかもしれないが、
賢治的な意味でのベジというスタンス及び、
童心というものは、ちょっと納得がいかない。
それは単に「未熟」であるだけではないかと。
そして、彼がベジに固執したのも、自分の持つ力を扱いきれず抑圧するために
肉を食べなかった、という気がすごくする。

つまり、ほんとは、お肉が美味しい、と思ってたのじゃなかろうか。

そういうのって、全然ピュアじゃないんだけどなーー

2015年6月24日水曜日

本日の魔法の呪文 46


"戦後に誕生した新興宗教の教祖のうちの何人かが、
ラジオ商を営んでいたことは、
一般にはあまり知られてはいない事実であるが、
ここには人の「たましい」と電磁波との興味深い関係が、
あからさまにしめされている。"

アースダイバー 中沢新一  P208  より抜粋

最近大阪版のアースダイバーも出ているので、
こっちも読んでみたいのですけど、
とりあえずみつけたのが東京版だったので読んでみた。

東京は何度か出かけたことがあるので、
土地が持つエネルギーと、縄文地図を照らし合わせた解説に
いろいろ納得する。

中沢さんの語り口が好きな理由は、
360度死角なく、きれいごとだけでない状態で世界をとらえているからなのだけど、
つくづく、東京という町、そして今の経済至上主義の状態が手に入れた
自由と豊かさ、というものが何に根ざしているか、
ということがよくわかる一冊だった。

それはそうなのだけど、
ここで語られている「自由」というものと、
わたしが常に念頭においており、感じているかろやかであたたかで、
冬の寒さのもつ厳しさにも似た「自由」というものは、
かなり質感が違うように思う。

うまく説明できないけど、ここで語られている「自由」は、
ほんとうの意味での自由でないが故にはらんでいるいろんな問題がある。

どっちかというと、御供えや犠牲あってこその自由の世界。
旧約聖書の世界なんですよね、今の東京は。
脅しがベースというか。

そのあたりのもやもやと、
霊の合理化問題、その延長にある電磁波を利用した今の暮らし、その弊害、
全部つながっているように思う。

今の暮らしの在り方をひっくりかえすわけにはいかないけれども、
ないと生きられない、とパニックになるのかならないのか。
このあたり大きな分かれ目。

2015年6月20日土曜日

本日の魔法の呪文 42



" スポーツとか、芸能の原型を考えていくと、
「三位一体モデル」発明の前の段階が気になるんです。
世界宗教に発展していったキリスト教の「三位一体モデル」が、
思考モデルとしてすばらしいツールだったということはわかるのですが、
その前の「三位一体モデル」のない時代の、
安定と不安定について、
けっこう知りたくなってくるんです。"

中沢新一 三位一体モデル TRINITY  P91
「三位一体モデル」を先に読んだ人たちの座談会 くま崎さんの発言 より抜粋

ここで書かれている「前の段階」、というものが、
これからの未来の在り方ととてもリンクしているように思う。

一見未来のやり方、新しいやり方ですよ、という風にみせかけておいて、
それは単にまた別の「三位一体モデル」の再生産でしかないことはとても多い。

態様として、このモデルに一切かかわらず生きることは不可能だけれども、
どういうスタンスでかかわるか、にシビアに生きることで、
新しい未来の在り方にじわじわつながっていく、と強く感じている。

2015年6月18日木曜日

本日の魔法の呪文 40



"すでにお気づきのように、先ほどから「霊」の動きを、
「貨幣」の動きとパラレルに話しています。
より正確に言うと、「資本」の動きですね。
そのわけは、資本と呼ばれる貨幣と、
心の中の霊とは、じつによく似た動き方をするからなのです。
P70

とりわけ、混乱する現代の資本主義経済を健全なものにしていくためには、
「霊」の部分が増殖し、
ゆがんでしまった「三位一体」の構造を、
本来の正しいかたちに戻していく、
の方策を見つけていかなければなりません。
そのとき、この「霊」の問題ととくに深い関わりを持っているのが、
「情報」に関わっている人、
「経済」に関わっている人、
「広告」に関わっている人・・・・などの人たちです。
なぜなら、それらの人たちは、
ほかならぬ「価値増殖」に関係しているからです。 P80"

三位一体モデルTRINITY  中沢新一 より 抜粋


中沢新一さんの視点はいつも、
そうそうそう、
と納得できるものが多く、
ひとりで古典を読んでもわからないような内容を
わかりやすく説明してくださっているので、非常に腑に落ちます。

この「霊(心)」と「貨幣」の問題は、ここ10年くらいずっとずっと向き合ってきた問題です。
そのおかげで、
普通の人がどうしてもうまくいかず悩む領域で、
一切悩まなくなり、
反対に、
普通の人が普通にやれてしまうことが一切できなくなる、
というなんとも、
羨ましがられるのかあきれられるのかよくわからない境地に達しております(笑)

三位一体モデルについての説明を、
わたしの言葉でいいかえることができなさそうなので、興味がある方は
直接本にあたってもらえればと思うのですが、
前々から、エネルゲイア領域(気の領域)は∞であり、
キネシス領域(物質・肉体領域)は有限であるはずなのに、
これを反転させるとおかしくなるよなぁと思っていたことと
ほとんど矛盾しない話です。
(桜沢さんの陰陽論の話でも同じ指摘があります)

RGBとCMYKの話にも通じる。


さていったいどう生きていこう(笑)

2015年5月17日日曜日

本日の魔法の呪文 8



"朝おきると
机のしたで うさぎが
死んでいました

まだ ほんの こどもの
野うさぎの ようでした "

うさぎのルーピースー
どい かや より


ちゃんと生きている人がとても少ないこの時代、
死というものの嘘のなさ、強烈さ、優しさ、
そんなことを最近ちょっと思うのです。

その感じはちょうど、偽善がむずがゆくて、
ほんとの悪の生き生きした感じに出会った方がよっぽど、
こちらもにっこり生きられる感じに似てます。

今日はわたしの苦手なターコイズ色が、好きになるように
と思って描きました。

どうもわたしは、
嫌いなものや自分のストーリーに合わないものを
無理矢理受け入れる、という練習や刷り込みを
人の何倍もやりすぎてきたようで、
好きなものや自分のストーリーに合うものが、
反対に受け入れられなくなっている、
そんな状態になっているみたいです。

そのねじれをもとにもどしていく途中。

これを読んでくださってるそこのあなたもきっと、
本来の軸に戻っていくスイッチがはいりはじめてるはず。