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2015年7月7日火曜日

本日の魔法の呪文 59


"地域管理がいっそう進行し、
人間関係の領域で誰もが何らかの資格の階段を登ることが奨励されるいま、
平地に足場を徹して暮らすただのおばさん力おじさん力について、
ことさら自覚的に考えることが必要だとわたしは思う。
また、これから社会的な「上昇」の誘いが予想される「居場所」だが、
そのなかにあってあらためて「ただのおとな」に徹し、
資格・専門性・管理社会を撃つ拠点として居直り続けてほしいと願う。

素手のまま偶然の関係のなかで生きるおとなたちが、
網の目のようにつながる力。
その力と中身がわたしたちにいっそう強く問われる時代が、これからやってくる。"

「心の時代」と教育  小沢牧子 P212 より抜粋


なんにも肩書がないまま、人と人が出会うことが、
ほんとうに少なくなってしまっていると思います。

そうであっても、偶然の力で、本来出会うはずのない人同士が引き合う力
というものがなくなったわけではなくて、
そういうものがいまも厳然と存在していることをしっかり自覚すること。

その大前提として、自分をしっかり信頼すること。
ここに立ち戻って、こういう意味でがんばらないとなぁ、とあらためて思う。


ほんとうに「ただの人」であることが
どれほどすごいことなのか。

その凄味。

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手仕事メモ これとか、  これとか。

2015年5月25日月曜日

本日の魔法の呪文 16


"「患者が主体的に本来の意味での狂気を貫き、
自己変革、相互変革を行うことが"なおる"ということです。
そしてもしあるべき心理臨床活動が存在するとすれば、
それはこの患者側からの変革に連帯し、
協力するものでなければなりません。
その場合変革の主体は患者であって、
心理臨床家ではありません。
(略)
ただ、患者が狂気を貫徹することを助けるような形での
心理臨床活動は果たして可能でしょうか。
現在の段階では少なくとも非常な困難があるようです。
もしそれが不可能であるならば、
患者の要請によるものは別として、
心理臨床活動をひとつひとつやめていくこと以外に
道はないのではないかと、
私は思うのです」 
吉田おさみ 『臨床心理学研究』十四巻一号 "

心の専門家はいらない 小沢牧子 P90より

なおる、ということがどういうことか、
という意味づけにまつわる深い話。

アロパシーとホメオパシーの対比について
思いを馳せたことがあるひとならきっとぴんとくるはず。

外からみたときに見分けがつかなくても、
このあたりのスタンスがどうなのか、ということは
魔法の要だと思ってます。

レムニスカート∞ のマークをみればわかるように、
左右同じ大きさの〇がふたつつながっています。

わたし自身が、内にある狂気をしっかり引き受けて生きることが、
命の循環のはじまり。