2015年6月30日火曜日

本日の魔法の呪文 52


"<ドロモマニア>はポール・ヴィリリオが『速度と政治』で使った言葉である。
この書は、人と文化が躁病の域にまで速度にとりつかれ、
動き続け、加速し続けることを論じたものである。
<宇宙的音楽>に加速が起きたとしても、
それはどこにも行き着かない。
ただ孤独に速さを増すだけだ。
それは動きの昂進でしかない。"

ノイズ/ミュージック歴史・方法・思想 ルッソロからゼロ年代まで 
ポール・ヘガティ 若尾裕 嶋田久美訳   P139より抜粋


わたしがここまで極端な生き方になってしまったのにはいろいろ理由があるのだけれど、
そのひとつに、ピアノという楽器を通じて、
人間機械みたいにふるまうと最終的にどうなるか、
ということをやりつくしたところに根っこがあります(笑)


今思えば20歳前後ぐらいで、
本来なら生きている喜びを一番謳歌する年齢の頃、
わたしは史上最大にその要素を否定して生きており、
その帰結として、
命の喜びの反対である、
権威主義的な方向に音をとらえる方に突っ走っていた。

愛の反対は権威主義だと思うのだけども、
通常、支配側と被支配側、どっちがいい?と問われたとき、
迷わずだれでも支配側を望むだろう。

権威主義の構造が、共依存の構造と同様、
支配しているつもりが支配されており、
依存しているつもりが依存されている
という構造であることに気づいていない人は多いけれども、
中にとっつかまっている人はおおまじめで、
片側の役しかやりたくないと本気で思っている。


耳障りが悪い音楽が身体にもたらす効用は、
自分の人生からストーリー性を完全にとりさってたたきおとす点にある。
このことで、権威主義の構造の中で担わされている片側の役から、
一瞬解放されたかのようだけれども、
同時に、別のストーリーを編むわけではない。
たたきおとしてばらばらにされるだけなのだ。
その結果、
正気を取り戻したらまた、悪夢の延長であることを思い知る羽目になる。

わたしはアナログ人間なので、この要素を孕んだ音楽を自分で演奏したら
いったいどうなるのか、ということを当時徹底的に好んでやり、
そのことで、自分もまわりも誰も幸せにならないということを痛感したのでした。

この救いようのないループがパラサイトの構造そのものであり、
そこからまったく無縁な世界を生きるために必須なことは、
それこそ「モモ」にでてくるカシオペイヤが甲羅に光らせた
「オソイハハヤイ」
というあの文字なのだ。


わたしは徹底的に、世の中が要求してくる器用さを身につけ、
けれど心の一番深いところで人間らしさを捨てきれていなかったが故に、
器用さで逃げきることができず、ずっこけまくる人生を歩んできた。


もうこれ以上こけて落下する、下がないところまできてようやく、
「速い」ということが諸悪の根源であることに気づいた。

そんなわけで、迷ったら何もしない。迷ったらスピードを落とす。

このことを、人生の一時期、
徹底的に味わってどうなるかやってみてもいいだろうと思い、
実験中です。

2015年6月29日月曜日

本日の魔法の呪文 51


"「古代人」たちは、自分たちの心の浮かんだ考えを、
無意識のままに、
石や木や風景や身振りや声や聖地のかたちをとおして、表現しようとした。
文字記録の場合にはゆがんで表現されていることが、
自然物をとおして素直にあらわされているのである。
そこで、「古代人」たちの心を探ろうとするものは、
文字記録以外のもののなかに、
重要な情報源を見いだすことができなければならない。"

古代から来た未来人 折口信夫  中沢新一  ちくまプリマー新書 P16より抜粋


文字の限界は、それぞれが、自分が生きてきたストーリーに基づいて、
言葉とイメージをむすびつけており、文字によって連想され喚起されるイメージが、
下手すると人によってまったく反対の意味を持つことがあるところにある。

だから、人と人がわかりあおうとするときに、
ひとつの文字を掲げその下に集うことよりも、
ありとあらゆる雑多な世界に生きながら、そこに似たストーリーを見いだす力を持つ人同士が
つながる方が、本来なのだよな、といつも思う。

文字にしがみついている人は、
その文字が説明している事象そのものがそこに転がっていても
目に入らず「ああ、この理想の世界があったらなぁ」なんてほざく羽目になるのでした。

わたしも文化に毒されて生きてきたのは間違いないから、
日常の中でまだまだたくさん、この「ほざく羽目」になっているはず。
それをひとつひとつはずすのだ。

それが究極の自分育てではないかなぁ?

2015年6月28日日曜日

本日の魔法の呪文 50


"時にこのような人がイニシエーションを授かったとしても、
 彼らはすべてを経験した後、
 何もつかめないまま、入ってきたのと同じ扉から出て行くでしょう。
 この宝の家は魔法の家だからです。
 家の中にはあらゆる宝があっても、泥棒はそれをみつけだせません。
 泥棒は家を通り抜け、辺りをうろつきますが、
 何も見ず、何も手にしないまま出ていってしまうのです。
 真理は誠実な人のためにだけあるからです。"

音の神秘 ハズラト・イナーヤト・ハーン 土取利行訳 P244より抜粋


戦時中、上から爆弾が投下されても、
ガラス工場がある一帯にはどうやっても落ちなかった、
という話を聞いたことがあります。
ガラスが持つ波動の状態が、
ちょうど電磁石が反発し合うように、爆弾を近づけなかったのだと思います。

これの裏返しが、ブラックホールが一体何を吸い込み、何を吸い込めないのかという話。

そんなことを思ったときに、
道成寺で鐘の中に逃げ込んだことで、
かえって逃げられなくなり焼け死んだ安珍のように、
あるいは、
オートロックのように厳重警備がなされている建物の方が、
いったん中に泥棒が進入したときにやりたい放題だったりする、
あの感じにも似ています。

守るためにツールを使うことが、
逆に自分を閉じ込める檻になる愚かさについて
あらためていろいろ思います。

ちょっと不安がよぎったときに、気合いでふんばらず、
ツールに頼ってしまうと、このバリアの持つ結界が一瞬で解けてしまう。

魔法というのはこういうきわきわで成立しているなぁと思います。

自己保身の気持ちで生きることを捨てることこそが、
最大のバリアであるという。

2015年6月27日土曜日

本日の魔法の呪文 49


"自然智(Natural Wisdom)は見かけはおそろしく単純だが、
あらゆる領域の事物にまで深く及んでいく浸透力を持っている。
折口信夫はそこに単純にして明確で、
あらゆる領域にまで汎用性を持つ一つの根本原理を探し出し、
それを日本人の未来の生活を支えていく素型まで高めていくことを考えていた。
終戦直後にそのことを理解できた人は、
おそらく彼のほかには誰もいなかっただろう。"

古代から来た未来人 折口信夫  中沢新一 ちくまプリマー新書 P131より抜粋


記号化する、
そのきわきわの前段階をになう神様はムスビの神さま、ということになるらしい。
最終的に、
折口信夫がそこの大切さを説いていた、
という話がわかりやすく説明されていて、
非常に腑に落ちました。


まさに、これから目指していく在り方は、
折口信夫が見据えていたビジョンそのものじゃないか、
ということをわたしもはっきり自覚していて、
その内容のあまりに綺麗なシンクロ加減にぞくぞくしています。

間違いなく、こっちであってる!

2015年6月26日金曜日

本日の魔法の呪文 48



"かつてある人から、
基本元素の精霊とはどのようなものですかと尋ねられました。
私はこう答えました。
「基本元素の精霊とは、まさにあなたの思考のようなものです」と。
もしもあなたが人間のことを考えれば、
その精霊は人間の形をとる。
鳥のことを考えれば鳥の形をとる。
動物のことを考えれば動物の形をとる。
基本元素の精霊はあなたの思考から作られるからです。"

音の神秘  ハズラト・イナーヤト・ハーン  土取利行訳  P297より抜粋

元素が精霊である、ってすごくしっくりくるなぁ。

もののけ、という言葉があるけれども、
物体の状態、チャンクな状態での神様より、
もひとつ精妙な領域での神様、
霊的な存在がある、というメタファーの方が、
可能性が広がって楽しいなと思う。

微生物は、
この元素の世界と物質の世界を行き来して元気に生息している、
という印象があるのだけど、
わたしたちも、
意識の解像度を上げれば上げるほど、
生きている元素の精霊たちといつでもやりとりできる。

というか、やりとりしてることに気づく。

2015年6月25日木曜日

本日の魔法の呪文 47



"おそらくハタ・ヨーガは、
こうした動作についての瞑想から発展したのではないかと思われます。
非常に小さな動作について瞑想し、
それを増幅すると、
しばしば現在ハタ・ヨーガとして知られている
元型的な姿勢に似た姿勢に導かれていきます。
小さな動きに気づき、増幅し、
そしてそれに従うことによって、
私たちはヨーガについて勉強することなしにヨーガを実践することができるのです。"

アーノルド&エイミー・ミンデル 藤見幸雄+青木聡 訳  
うしろ向きに馬に乗る P112 より抜粋


菜食歴が長い人ほど、寝ているときに寝返りをうつときですら、
無意識で行えなくなってくる。
眠っていてもどこか必ず起きていて、寝返りをうったという記憶が必ずあるのだ。

赤ちゃんのときの息子の様子をみていたときもわかりやすかったが、
食べたものによってこの寝返りの様子がほんとうに異なる。

食べすぎたり、タンパクが強い食事をしたときは、ほんとうに転げ回るのだ。
それこそ、どこかにいってしまっていない!と思ったら足元に頭と足が反転して寝ていた、
みたいなことになる。

そうでないときは、添い寝していてもちっとも邪魔にならないのだ。

(まあ、このことと、粉ミルクを大量に飲ませ、
ぐったり昏睡状態のように寝込んでいる様子について、
よく寝るから手がかからなくてお利口ね、という話は異なる、
ということをつけ加えておく)

多くの人は、自分のからだが自分のものでないかのように、
勝手に動いてしまうことに慣れきってしまっており、
ヨガの大げさに誇張した動きは、
そういった人が自覚を取り戻すために有効だから流行るのだと思う。


けれど、無意識な動きができない状態に達している人にとって、
大げさに誇張した動きはかえって害になる。

肉をたくさん食べている人にとって、
豆や豆腐料理がかろやかに感じられても、
穀物菜食をベースにしている人にとって、豆は重い。

2015年6月24日水曜日

本日の魔法の呪文 46


"戦後に誕生した新興宗教の教祖のうちの何人かが、
ラジオ商を営んでいたことは、
一般にはあまり知られてはいない事実であるが、
ここには人の「たましい」と電磁波との興味深い関係が、
あからさまにしめされている。"

アースダイバー 中沢新一  P208  より抜粋

最近大阪版のアースダイバーも出ているので、
こっちも読んでみたいのですけど、
とりあえずみつけたのが東京版だったので読んでみた。

東京は何度か出かけたことがあるので、
土地が持つエネルギーと、縄文地図を照らし合わせた解説に
いろいろ納得する。

中沢さんの語り口が好きな理由は、
360度死角なく、きれいごとだけでない状態で世界をとらえているからなのだけど、
つくづく、東京という町、そして今の経済至上主義の状態が手に入れた
自由と豊かさ、というものが何に根ざしているか、
ということがよくわかる一冊だった。

それはそうなのだけど、
ここで語られている「自由」というものと、
わたしが常に念頭においており、感じているかろやかであたたかで、
冬の寒さのもつ厳しさにも似た「自由」というものは、
かなり質感が違うように思う。

うまく説明できないけど、ここで語られている「自由」は、
ほんとうの意味での自由でないが故にはらんでいるいろんな問題がある。

どっちかというと、御供えや犠牲あってこその自由の世界。
旧約聖書の世界なんですよね、今の東京は。
脅しがベースというか。

そのあたりのもやもやと、
霊の合理化問題、その延長にある電磁波を利用した今の暮らし、その弊害、
全部つながっているように思う。

今の暮らしの在り方をひっくりかえすわけにはいかないけれども、
ないと生きられない、とパニックになるのかならないのか。
このあたり大きな分かれ目。

2015年6月23日火曜日

本日の魔法の呪文 45


"自分でテラピストになるために、
彼女の才能を得たいと思ったことはなかった。
「兄弟」から学ぶためには、
彼の奇跡を総じて偽物と想定すべきだと気づいた。
それを本物とする原理から出発していたら、
じきに私は袋小路に迷い込み、
みずから甲斐もなく、
魔術師になろうとして躍起になっていただろう。
というのは、
私の考えでは、
皮膚を簡単に着替えることができないように、
自分を培ってきた理性的文化から脱け出して
「原始的な」
ふりをすることもまた、不可能だからだ。"

アレハンドロ・ホドロフスキー リアリティのダンス P376より抜粋


わたしの友人に、
どちらかというと生粋の「原始的な」感性だけで突っ走ってきた人がいるのだが、
わたしの場合は、まわりから強いられたことに加え、自ら望んで
既存の文化の最先端を体現したらいったいどういうことになるのか、
を自分なりにやりきって反転したタイプだ。

だから、原始的なふりをすることは、わたしもできない。

けれど、わたしの皮膚に刻まれている、この経緯があるからこその、
わたしなりのストーリーというものがあるのではないかとふと気づいた。

そのことのかけがえのなさ、というものにがつんと気づいたとき、
なんて生きていることはそれだけで素晴らしいのだろうと。

2015年6月22日月曜日

本日の魔法の呪文 44


"今日の学校は、朝八時に始まって昼に終わり、
学生は行きも帰りも物憂げな気分でいるか、
せいぜい少し賢くなったことを自慢します。
未来の学校は、そうではありません。
宇宙に上昇する感情をもって、学校から帰るのです。"

色彩の秘密  光のなかの生命と重さのなかの生命
ルドルフ・シュタイナー 西川隆範 訳 P110より抜粋


学校というハコにとらわれずに学びをとらえたとき、
大人であっても、この「宇宙に上昇する感情」を得るような学びができるきっかけは
日々たくさんころがっている。

そうやって学んだことは一生忘れないし、そこからどんどん次のテーマに
生きたまま、ケルトの組紐模様のように発展していく。

そういう学びの連鎖に生きる人は、
外からおしつけられた、自分のストーリーと関係がない事柄に
惑わされないで生きることができる。

2015年6月21日日曜日

本日の魔法の呪文 43


"大体、私たちの人生は
自分の足りない何かを求めて
どこまでもころがっていくという物語とはかなり様子の違ったものである。

そういうことをある時期に卒業して大人になるのが普通の人間なので、
いつまでも自分のmissing piece を追いつづける、
というよりその何かが「ない」という観念をもちつづけることが
生きることのすべてであるような人間は
芸術家であったり駄目な人間であったりして、
とにかく特殊な人間に限られる。

ところがそんなことを承知の上で、
無事に、あるいは苦労して生きてきた人間がある程度年を取った時に気づくもの、
実はこの自分の欠けて足りない何かである。"

ぼくを探しに シルヴァスタイン作  倉橋由美子による後書きより抜粋


この本の初版は1977年。

2015年の今のわたしの感覚としては、最早、
老いるまでこのmissing piece のことをみないふりをして
生き続けることができる人はかなり少ないのではないか、と思ってしまう。


みないふりをして得られるものがあるうちはそれで行ける。
得られるものがない人達はどんどん気づいてしまう。

2015年6月20日土曜日

本日の魔法の呪文 42



" スポーツとか、芸能の原型を考えていくと、
「三位一体モデル」発明の前の段階が気になるんです。
世界宗教に発展していったキリスト教の「三位一体モデル」が、
思考モデルとしてすばらしいツールだったということはわかるのですが、
その前の「三位一体モデル」のない時代の、
安定と不安定について、
けっこう知りたくなってくるんです。"

中沢新一 三位一体モデル TRINITY  P91
「三位一体モデル」を先に読んだ人たちの座談会 くま崎さんの発言 より抜粋

ここで書かれている「前の段階」、というものが、
これからの未来の在り方ととてもリンクしているように思う。

一見未来のやり方、新しいやり方ですよ、という風にみせかけておいて、
それは単にまた別の「三位一体モデル」の再生産でしかないことはとても多い。

態様として、このモデルに一切かかわらず生きることは不可能だけれども、
どういうスタンスでかかわるか、にシビアに生きることで、
新しい未来の在り方にじわじわつながっていく、と強く感じている。

2015年6月19日金曜日

本日の魔法の呪文 41


"そもそも「霊」に関わることは、
ギャンブルのように不安定な側面が強いのです。
しかし、ある時期から、
これを安定したシステムに変えてしまおうとする人たちが出てきました。
たとえば、中国の四柱推命などが典型的なのですが、
占いをシステマティックに合理化してしまおうとしたんですね。
ですから、いま流行の占星術などの占いは、
霊の意思を聞くという行為の、合理化の果てと言っていい。"

三位一体モデルTRINITY  中沢新一  P49より抜粋


合理化の果て。

合理化するときに、そこからこぼれおちるものについて理解したければ、
自分が一度何かを合理化してみるとよくわかります。
他人(専門家)が合理化してくれた結果、を消費者として買う側でいる限り、
いったい何が失われているのかに気づけません。

「合理化」を代わりにやってあげよう、ということが、
世の中の消費システム、サービスの核になっています。

合理化を代わりにやってもらった故、そのブラックボックスに対する不安は消えず、
それを埋めるために稼ぎ、また買わなければなりません。

学びとは本来、自分で混沌としたものを整然ととらえること。
自分で世界を自分流に合理化することが学び。
だから、本来、経済至上主義と教育は水と油なのだ。

本の巻末についていた対談の中でも指摘されていたが、
そこにうまく入り込んでやっているのが
予備校のような形態。

見た目が美しいオルタナティブ教育もみんなそうだ。
うちの近くの美味しいベジ料理の店も、本体は塾で、
塾の生徒の食をその料理店が担うというすごい経営システムになっている。

確かにこの三位一体の循環がとどこおりなくなる、という意味で、
こういった形に加担することはそれでひとつの在り方だろう。

「父」の役割をとりもどせば、この循環がまた機能するようになって
日本はよくなるだろう、というのが今の政治の流れだろう。

けれど、今のわたしにとって、
この三位一体モデルは「ごっこ遊び」にしか思えない。

2015年6月18日木曜日

本日の魔法の呪文 40



"すでにお気づきのように、先ほどから「霊」の動きを、
「貨幣」の動きとパラレルに話しています。
より正確に言うと、「資本」の動きですね。
そのわけは、資本と呼ばれる貨幣と、
心の中の霊とは、じつによく似た動き方をするからなのです。
P70

とりわけ、混乱する現代の資本主義経済を健全なものにしていくためには、
「霊」の部分が増殖し、
ゆがんでしまった「三位一体」の構造を、
本来の正しいかたちに戻していく、
の方策を見つけていかなければなりません。
そのとき、この「霊」の問題ととくに深い関わりを持っているのが、
「情報」に関わっている人、
「経済」に関わっている人、
「広告」に関わっている人・・・・などの人たちです。
なぜなら、それらの人たちは、
ほかならぬ「価値増殖」に関係しているからです。 P80"

三位一体モデルTRINITY  中沢新一 より 抜粋


中沢新一さんの視点はいつも、
そうそうそう、
と納得できるものが多く、
ひとりで古典を読んでもわからないような内容を
わかりやすく説明してくださっているので、非常に腑に落ちます。

この「霊(心)」と「貨幣」の問題は、ここ10年くらいずっとずっと向き合ってきた問題です。
そのおかげで、
普通の人がどうしてもうまくいかず悩む領域で、
一切悩まなくなり、
反対に、
普通の人が普通にやれてしまうことが一切できなくなる、
というなんとも、
羨ましがられるのかあきれられるのかよくわからない境地に達しております(笑)

三位一体モデルについての説明を、
わたしの言葉でいいかえることができなさそうなので、興味がある方は
直接本にあたってもらえればと思うのですが、
前々から、エネルゲイア領域(気の領域)は∞であり、
キネシス領域(物質・肉体領域)は有限であるはずなのに、
これを反転させるとおかしくなるよなぁと思っていたことと
ほとんど矛盾しない話です。
(桜沢さんの陰陽論の話でも同じ指摘があります)

RGBとCMYKの話にも通じる。


さていったいどう生きていこう(笑)

2015年6月17日水曜日

本日の魔法の呪文 39



"タロどの
お前が展覧会へ出すに就ておとうさん大よろこびですよ。
よかれ、あしかれ、仕事を積み上げて行くんですね、
空想や計劃ばかりでなく現実的にね。
みとめられようががられまいがそれが動機で画が出来て行くものね。
しかし、なるべく迎合しないようサロンに左右せられないもので出色しなさい。
とにかくピカソの精神がわかればあとは実行があるばかりです。"

精選女性随筆集四 有吉佐和子 岡本かの子/ 川上弘美 選
岡本かの子 「東京から巴里への書簡」より抜粋


岡本かの子は、岡本太郎のお母さんだったのか。今更知りました。


子育てと自分育ては、
どちらも本質としてまったく同じだと思っているのだけど、
わたしたちにずっと欠けてきたものは、
この、根拠もないし保証もないけど信じているよ、応援しているよ、
というあたたかいエネルギーなのだ。


こんな風に素晴らしい寛大さで見守ってもらえることは、
実際なかなかないと思う。
だからといって、
自分もまわりに腹いせに仕返しをするような生き方だけはしたくないのだ。


信頼されたことがない人が信頼しはじめる、
というこの転換点を乗り切ることは
かなりきつい。


けれどその気になれば、
いろいろなところにあたたかい励ましのエネルギーはある。
わたしがそこにつながる気をもてば、どこにでもあるのだ。


そうやって、いったん壁を越えれば、
そこをクリアしたからこその世界がある。


その予感をひしひしと感じながらも、
今は踏ん張って自分でやりとげなくちゃモード。

2015年6月16日火曜日

本日の魔法の呪文 38


"人間の心の非合理性に寄与する因子の一つに、身体的基盤のちがいから起こるメタファーどうしのぶつかりあいがある。"

共感覚者の驚くべき日常 リチャード・E・シトーウィック より抜粋

自分の中で、
イメージングと言葉がしっかり結びつき、
脳内で既知になっているはずのものを、
多くの人は無造作に、そのことを検証することはあまりないように思う。

これだけ情報が多い時代、
脳内のみの検証で、
いろいろなことをわたりあるくのはとても簡単で、
評論家もどきみたいな人がそこらへんに雨後の筍みたいにごろごろしている。
「ああもうこれこのあいだ見た。知ってる」と感じない言葉って、いったいどのくらいあるだろう?


生きるということは、この
「ああ知ってる」
という、脳内で既知になってるはずのエネルギーが、
実際に目の前に繰り広げられ、
身体に違和感を感じるのかどうかを確かめる連続なように思う。

そのイメージングから脳が反応していたイメージと、
実際に繰り広げられたものを味わったときの体感に
強い一致・共振がみられたとき人は腑に落ちる。

そして、そこに違和感があるとき、
自分はそのエネルギーについてまだ馴染めていなかったんだな、やりなおしか、、
ということを悟る。

理解している人のそばで一緒に過ごしていると、
その構造が伝染してくるので、
超高速で「なんかわたしも理解したつもり」、になることがある。

そして、その人からはなれてひとりになって、
そこからがスタート。

まったく手がかりがないままよりも、
一度そうやって「ごっこ遊び」として仮想理解したことは、
決して無駄じゃない。

だからあそびをせんとやうまれけむ、なのですねー^^

2015年6月15日月曜日

今日の手仕事、それからメモ


シルクの玉をつくって、モビールに。
玉の芯は紙です。発砲スチロールの玉は使っていないので、
あたたかみがある感触です。
うずまきもようも、写真ではわかりにくいですが、彩色した紙を切ってます。


それから、空っぽだった宝箱に寄せ植え。
模様が可愛くて、でもずっと何をいれたらいいか迷っていたところに、
すっぽりおさまってくれました(ちょっときつそうかも。。)


わたしの手仕事は、上手ではありません。
そこあんまり目指してません。

けど、こだわっているポイントはいくつかあります。
・できるかぎり自然素材を使う。プラスチック類は排除。
・完成することよりも、成り立ちを知ること、その驚きを大事にする。
・手を動かすのと連動してかわっていく心の動きをじっとみつめる。


なので、普通手仕事をやりたいときって、
何かつくりたい、ということを軸に、
それを教えてくれるところを探すと思うのですが、
わたしのところにいらしてくださるメリットがあるのは、
「自分で自分とつながりたい」きっかけを探している人、かもしれません。


このことは、わたしが表看板からチャート読みをはずしてしまったのとも関連してます。
結局、自分で「!」と思い、一歩を踏み出せば、
それで全部OKなのでした。非常にシンプル。


実際、本人に「!」や「?」という強い動機があるときに占えば、
卜占いにはそのまましっかりくっきり反映されます。


易占いの大家だった知人は、
最終的に「易不要論」を出して顰蹙を買ったらしいのですが、
その気持ちが今すごくわかります。

アーバン・シャーマンの本の中にも、
ストーン占いのようなもので、
出た結果が気に入らなかったら
それをくるりと入れ換えて「これが結果なんだからね」
と言い聞かせればOKという話もあったりします(笑)

霊能的な要素で拾える限界は、「イマココ」まで。
その先は、みえているものを前提に推測するだけの話で、
意識が変われば一瞬でその予測は崩れ去ります。


そんなわけなので、
あるレベルまでいってしまったら、
何を選択しても全部それでいいよね、
で話は終わる。

自分で自分を信頼する。徹頭徹尾、これに尽きますねー

本日の魔法の呪文 37


"問33 額に印を押された十四万四千人は、
体の十二主要部の霊化されつつある細胞構造と解釈するのは正しいでしょうか。

答33 正しい。ヨハネのそれ、ヨハネの名である。"
エドガー・ケイシー文庫 015 黙示録の解読 訳・編 林 陽 より抜粋


生きているからだを切って開いて観察することってできないんですよね。
ひとりひとりのストーリーが異なり、
あの人にとってあたりまえ、なことが
わたしにとってあたりまえでないように、
体の中もほんとうは、
それぞれ非常に精密に、不思議なストーリーにしたがって
日々営みをつづけているのではないかと思います。

そのことを、細胞が思いだすことと、心が気づき、行動に移していく事は、
たぶん連動している。

2015年6月14日日曜日

本日の魔法の呪文 36



"海洋生物学者のエド・リケットはこれに関し次のようなコメントをしている。
「故意に自己分裂する生物は、
何らかの絶頂に達したものと見なすことができるのではないか」"

アニー・ディラード 本を書く より抜粋


分裂がどんどん進むと、最終的に腐葉土みたいになって、肥料になって、
あたらしい命をはぐくむことの手伝いにまわる。

このサイクルのいったいどのあたりで、生から死、死から生へ転換するのかなぁ。
救急車のサイレンが、ピーポーからポーピーに聞こえ方が変わるみたいに。

2015年6月13日土曜日

本日の魔法の呪文 35


"彼女は最近蝋燭に飛び込む蛾についての、物語形式のエッセイを出した。
今、仕事がうまく行かないのでポップコーンを作って本を読もうとしていると、
男の子が匂いにつられてやってきた。子供はその蛾の話を読んでいたらしい。
机の上のペン描きの、もえさしの蝋燭の絵をみて、
「蛾が飛び込んだというのはこの蝋燭のこと?」
とたずねる。そして「あなたがあのお話を書いたの?」
彼女が答えようとすると彼はつづけた。
「それともタイプしただけ?」"

Papyrus letters 1996.11 No.10  文字を書く 多田智満子  より抜粋


このエピソードは、アニー・ディラードの本を書く、
の中にはさまっていたニュースレターの一部。
ここで書かれている「彼女」は、アニー・ディラードのことかな。

昨日友人と、複製するということの持つ偶像崇拝性についていろいろ話をしていました。

生きている間に銅像を立てると、
立てた人は早死にしたり、病気になったりするのでやめておけ、とか
写真を撮ったら魂が抜かれるという話の延長に、
ネットという悩ましいツールが置かれているように思います。

かたち(ひとがたのようなもの)だけががらんどうのまま暴走し、
そのクローンの数だけ、
本来本人のところに循環するはずのエネルギーが分散するから
よくない、というからくりはとてもよくわかります。

が、一方で、みたくないものと向き合い、自分の全体性を取り戻すツールとして、
不特定多数とつながるネットというものの有用性を痛感しています。

現時点でわたしは、他人が理解してくれるか否かに関係なく、
どんなツールにかかわるときも、
常に自分がここにおり、自分に対しての偽りがない状態でかかわることに徹しています。

この在り方のまま、このあぶなっかしいツールとかかわり続けることで
すっかり嫌になるのか、それとも、新しい時代ならではの境地が開けるのか、
地味に試していきたいところ。


「それともタイプしただけ?」にならないために、どう生きるか。
いつもこのことが頭からはなれません。

2015年6月12日金曜日

本日の魔法の呪文 34


"数々の作曲家や文学者たちがつくりあげた芸術作品というのは、
作者が自分自身の困難にどう立ち向かって解決していったかの表現にほかなりません。
ですから、文学や音楽などの芸術作品に触れることは、
それを追体験することになるのです。
聞いたり読んだりすることで、私たちもそこから何かを学ぶことができるわけです。"

ホメオパシー出版 コリン・グリフィス 宝石のレメディーとチャクラ  より抜粋

随分長いこと、わたしのパソコンの壁紙は土星の写真でした。
そのあと、ここ2年くらいは、モルダバイトの原石の写真です。

モルダバイトは、
小さなかけらですが原石を持っていて、不思議な感触が気に入っています。
チェコ南部でしかとれない、隕石のかけら。
地球には本来存在しない成分が入っています。

そして昨日、モルダバイトのレメディが届いたので飲んでみました。
たいてい、ヒットするときは強烈に眠くなって寝てしまうのですが、
まるでイルカが遊びに誘いにきたような、
全身がわくわくする気持ちに満ちあふれるような、
かなりハイな感じになりました。

なんというか、地に足がつかないかたちの「ハイ」というよりも、
自分の全体性がすとんと戻ってきた、そんな感じです。

あら、おかえり、という。

こういった形でレメディが作用したのはとても珍しいので、
へえーと思ってしばらくおもしろがってました。

今朝もすっきり目覚め、ただただ、
今やっていることの迷いがどんどんなくなり、
瞬間瞬間への集中力が高くなってきていることを感じています。

2015年6月11日木曜日

本日の魔法の呪文 33


"霊性がリーダーシップをとって、
テクノロジーがそれに従うのが理想的です。
しかし、今はその逆になっている状態です。
だから人類はダメな方向に向かっていって、環境は破壊されているのです。"

原子転換というヒント 久司道夫 より抜粋

スタートした手仕事クラスはこんな感じ。

手を動かしながら話をしていると、ほんとうにその時に無理なく必要な
むずかしいおはなしや、「!」という生きた学びがどんどん起こってきます。

うまくできなくて途中で放り投げても、それをやってみたという体験が大事。

ただただ楽しい気持ち、かんたんにすぐ形ができることを目指すのとは違います。

クラスのみなさんは、わたしにとってお客様なので、
ほんとうはみんなに良い気分で楽しく帰宅してもらわねばならないのですが、
簡単に満足する、ということはとてもとても矛盾に満ちています。
そんなことはありえません(笑)

そんなことでは一生、
ショートケーキの上のクリームや苺だけをつまみぐいする人生です。
ぶーぶー文句を言う資格はないのです。
それでは、ほんとうの学びが置き去りにされてしまいます。
なにをやってもすぐに飽きていつも口癖が「つまんない」になっちゃいます。

霊性がリーダーシップをとった生き方をするためには、
惰性や怠惰な気持ちを黙らせて、わくわくする気持ちで突っ走る気合いが必要。

手仕事クラスの様子

手仕事のクラスを地味にスタートしています。

今日は糸かけ、手織りごっこ、木工などやりました。


横の毛糸を指で8の字にしてまきつけるところからスタート。
織る楽しみを味わうのはまだ先~

糸を張るための溝を彫刻刀で彫って、たて糸を自分ではりました。
織り機からつくると、既製の手織り機がいかに理に適ってつくられているかよくわかりますし、
逆にいえば、シンプルなものなら、いつでも織れることがわかって楽しいです。

織り機のキット、もうちょっと改良して通販したいと思いますので乞ご期待くださいませ(?)




おととしのワークショップ でのおさらい。今日つくってくれた人は、糸にテンションをかけるのが
とても上手だったので、ぴんと綺麗に仕上がりました。ピンクが可愛い。

糸かけをやりたい方、シルク糸・釘、下絵と糸のかけ方、
素数についてのコラムがついたキットを販売しています。
セットで5000円です。メールフォローもします。
欲しい方は問い合わせフォームよりどうぞ。



これは息子の怪しい作品。
彼は自分の名前を釘で打って、糸をかけようと思いついたのはいいのですが、
糸をかけてみたらなんと、「ニラ」になってしまい大爆笑。
そのあと糸をはずし、マスキングテープをまきつけてこんなオブジェをつくりました。。。


こんな感じで、わりと自由にやりたいテーマを決めて材料用意してやっています。
遊びにきてくださいね。


とりあえず現時点での開催場所は
アワポン宅です。
(京阪くずはよりバス。駐車場あります)

子どもクラスは1回90分、月4回で8000円~(材料費別)
大人クラスは2~3時間程度の単発WSで、1回5000円(材料費別) 。

※親子割引、兄弟姉妹割引など考慮しますのでお声かけください。

それからアンスクーリング・ホームスクーラー関連の活動に力入れていきます。
近日中に翻訳してる本をなんとか形にできればと思っているのと、
わたしや青山さんなどのエッセイをまとめたものを表に出していきます。


その他、お便りはお問い合わせフォームからどうぞ。


お返事書きます。

2015年6月10日水曜日

本日の魔法の呪文 32


"メタファー的な理解とは、
似ていないように見える対象のあいだの類似性を感知する能力である。
アリストテレスの言葉にもあるように、
「メタファーによって、新奇なものが理解しやすくなる」"

共感覚者の驚くべき日常 リチャード・E・シトーウィック 山下 篤子 訳 より抜粋

メタファー(比喩)的な理解がうまい人は、
おそらく何を見ても感じても、
言葉の背後にあるエネルギー状態で
直観的に世界をとらえる力が強いのではないかなと思います。

ひとつのことをたくさんのメタファーで多角的に言い表し、味わい、
それを他者とわかちあいたいと望む人もいれば、

全く逆のベクトルとして、
背後は実はがらんどうなのに、
口先だけでキラキラした言葉を並べ立てて気を引き、
あたかも背後に素晴らしいエネルギーがあるかのように演出する人もいます。

けれど、その背後のエネルギーを感知したいと思わない多くの人々は、
悲しいことに後者の人々の言葉をありがたがり、真実だととらえます。

セールストークや政治は後者ですね。

2015年6月9日火曜日

本日の魔法の呪文 31



"私は一方で感覚的経験の全体をみ、
他方で、本に記されている概念や命題の全体をみる。
(略) 概念と命題とは感覚的経験との関係を通してのみ
"意味"すなわち"内容"を獲得する。
後者の前者に対する関係は純粋に直観的なものであり、
それ自身は論理的な性格のものではない。
この関係すなわち直観的結合がもちうる確かさの度合いが
まさにまったくの夢想から科学的な"真実"を区別する。"

アルバート・アインシュタイン 自伝ノート より抜粋


そうなのです。
本や他人から借りてきた概念は、
自分の感覚で確かめない限り自分のものにはならない。
そういう意味で、まだ何も知らず無知なままの方が救われる、とよく言われますよね。。

知ってしまったことは、感覚と連動して自分のものにしていかないと。
概念や命題と、自分の感覚が日々認識しているものに大きなずれがある限り、
それは常にわたしを脅かし続ける。

2015年6月8日月曜日

本日の魔法の呪文 30


"もしある人がよく整理された思考を好むのであれば、
彼の性質のその面がその他の面を犠牲にしていちじるしく成長し、
その人の精神をだんだんに支配するようになるということはまったくありうることである。
このような人が回想すると、
すべてが一様に系統的に展開したように回顧するが、
実際の経験は万華鏡におかれたようなばらばらの状況のなかで起こった
ということはきわめてありうることである。
外的状況の多様性と、
瞬時的に自覚できることのせまさとはどの人間の生涯にもある種の原子化をもたらす。"

アインシュタイン 自伝ノート 中村誠太郎 五十嵐正敬訳 より

息子に、カードゲームで使うというビーズみたいなものを買ってくれとせがまれて、
お店にいって、値段をきいてびっくりした。
30粒くらい、直径7ミリくらいのもので400円もするのだ。

100円ショップに行けばもっと安くていっぱい入ってるのがあるのになぁ、、
とわたしは半分納得が行かずしぶしぶ買ったのだが、
帰宅してみせてもらうと、プラスチックではなくガラスでできていて、
しかも模様や形がかなり精巧に刻まれていて綺麗だということに気付いた。


自分だって、コーヒー1杯飲むのに400円くらい使うこともあるのだ。
わたしにとって店で飲むコーヒーは、
飲み物というより、空間ごと買っているようなもので、
この時間がないとほんとうに嫌な人になるから、
わたしの中では必需品扱いになっている。
他のものを節約してもコーヒーは飲むことにしている。

それと、彼にとってのビーズと何が違うのかと。

気にかけなきゃいけないポイントはそこよりもむしろ、
そのときにほんとうに自分にとって必然性があるものなのかどうか、
ということなのだ。

一般的に見てそれが無駄なものなのか、贅沢なのかということより、
今の自分のストーリーとちゃんと共振してるのか。

そういうことを毎日常に自分に問い続ける。この積み重ね。

2015年6月7日日曜日

本日の魔法の呪文 29


"昨夜も私は長いことヴェランダに出て、
荒い風と、それに交る雨粒とに身をさらしていた。
今朝も斯うやって強い風に逆らって立っている。
何か烈しいもの、兇暴なもの、嵐のようなものに、
ぐっとぶっつかって行きたいのだ。
そうすることによって、
自分を一つの制限の中に閉込めている殻を叩きつぶしたいのだ。
何という快さだろう! 
四大の峻烈な意志に逆らって、
雲と水と丘との間に屹然と独り目覚めてあることは!"

光と風と夢 中島敦 より

全肯定することの力強さについていろいろ思います。
自分の中に渦巻く気持ち全てを、感じていること全てについて肯定すると、
びっくりするくらい大きなエネルギーが沸き起こってくる。

わたしはどれだけ、わきおこる気持ちを否定し、
それと同時にエネルギーを抑え込んできたのだろう?

2015年6月6日土曜日

本日の魔法の呪文 28



"古代の芸術家は、自然そのものではなく、自然のあり方をまねようとした。
ケルトの模様は、自然のあり方を高度に様式化した最たる例である。"

アダム・テットロウ 山田美明 訳  ケルト紋様の幾何学  より

一筆書き=くみひも模様=命のストーリー
と思っているのですけど、一筆書きで模様を描くということが、
どれだけ難しいのか、自分で描いてみて唸っています。

よく見慣れたありふれたかたちであっても、
それ、フリーハンドで描けますか?

星のマークを描くにしても、いつも自分が左下起点に描いていた場合、
それが右上だったり左上だったり左下だったり、ずれるだけでもう、「?」となってしまったり。

五感に閉じ込められた世界から、解放された世界へ向かうために、
まず、五感をしっかり使わないと次にいけない、
そういう風にあらためて思っています。

2015年6月5日金曜日

本日の魔法の呪文 27



"問題は、数が神話や無意識で演じている役割である。
数は物質的現実相でもあれば、心的創造的なものでもある。"

C.G.ユング  空飛ぶ円盤 松代洋一訳 P172より


数字をかたちや動きとしてとらえはじめると、
記号ではなく象徴としての意味=心的創造的な役割を取り戻せるように思います。

今ここ、の自分にとって数字がどんな意味を持つのか。
ふりまわされる側ではなく、数字に意味を与える側になれたらいいな。

2015年6月4日木曜日

本日の魔法の呪文 26

" ヘブライ語の知識がなくても生命の樹の完全な理解は、
ヘブライ文字をメディテーションの対象にすることによって、
可能となる、といわれている。"

螺旋の神秘 人類の夢と怖れ P52より

象徴と記号(文字)との関係についていろいろ思うのですが、
記号側から象徴へ向かうことも可能だなと思います。

そのわかりやすい日常の例が、文字に触れることで、
そのむこうにある世界とつながっていくということ。

記号を記号のまま消化しないで、象徴に向かっていくこと。
それが自分のストーリーに責任を取ることだなと思います。

翻訳しているとき、記号から記号への変換というよりも、
作者さんがつながっていた象徴にこちらがつながろうという意識でやると、
すっと訳せるように思います。

そのあたりの共振がないものは、本来翻訳できないのではないかな。
そういう意味で、翻訳ってチャネリングに近いと思ってます。

2015年6月3日水曜日

本日の魔法の呪文 25



"未来における<本物>の医療は、
心と体と魂の結びつきを認識して、
それを一つのものとして扱うことになるはずだ。"

ジェイコブ・リバーマン 光の医学 第15章より


今日はほんとに言葉がみつかりません。

この状態は、もやもやしてるものがあるのに整理がつかないときと、
反対にもやもやがまったくなくて、澄みきっているというときと、
両方のときにあるなぁ、と思います。

2015年6月2日火曜日

本日の魔法の呪文 24




"子どもに愚かだと信じさせると、一層愚かな行いをする。"
 ジョン・ホルト

子どもがこちらを信頼してくれているときのまなざし、
ほんとうにかけがえのない、あたたかで真摯なエネルギーが伝わってくる。

大人に信頼されるよりも、子どもに信頼されるわたしでありたい。

2015年6月1日月曜日

本日の魔法の呪文23


"このあたりではげすいにわになどすんでおらん。
いのこりして<もうわにのうそはつきません。
てぶくろもなくしません。>と300かいかくこと。"

いつもちこくのおとこのこ ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー
ジョン・バーニンガム さく  より



主人公の男の子は、毎回ハプニングに巻き込まれ、
それによって学校に遅刻するのですが、先生はそれを信じてくれません。
彼は正直に先生にその理由を伝えるのですが、嘘をついてごめんなさい、
と無理矢理反省させられる。

けど、さすがジョン・バーニンガムの作品、結末が痛快です。
ほんとうの学びはどこにあるのか、が示される、めっちゃ深い作品。