2015年6月29日月曜日

本日の魔法の呪文 51


"「古代人」たちは、自分たちの心の浮かんだ考えを、
無意識のままに、
石や木や風景や身振りや声や聖地のかたちをとおして、表現しようとした。
文字記録の場合にはゆがんで表現されていることが、
自然物をとおして素直にあらわされているのである。
そこで、「古代人」たちの心を探ろうとするものは、
文字記録以外のもののなかに、
重要な情報源を見いだすことができなければならない。"

古代から来た未来人 折口信夫  中沢新一  ちくまプリマー新書 P16より抜粋


文字の限界は、それぞれが、自分が生きてきたストーリーに基づいて、
言葉とイメージをむすびつけており、文字によって連想され喚起されるイメージが、
下手すると人によってまったく反対の意味を持つことがあるところにある。

だから、人と人がわかりあおうとするときに、
ひとつの文字を掲げその下に集うことよりも、
ありとあらゆる雑多な世界に生きながら、そこに似たストーリーを見いだす力を持つ人同士が
つながる方が、本来なのだよな、といつも思う。

文字にしがみついている人は、
その文字が説明している事象そのものがそこに転がっていても
目に入らず「ああ、この理想の世界があったらなぁ」なんてほざく羽目になるのでした。

わたしも文化に毒されて生きてきたのは間違いないから、
日常の中でまだまだたくさん、この「ほざく羽目」になっているはず。
それをひとつひとつはずすのだ。

それが究極の自分育てではないかなぁ?

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