2016年2月1日月曜日

近況など

しばらくこちらを更新しないままになっていましたので、
近況報告、今後の活動などちょこっとお知らせしておきます。


昨年末、いろいろ思うことあり、これは、もう、自分でどうすることもできない!
とお手上げになってしまって、友人のヒプノセラピストのところに遊びに行きました。


で、そのあと、死んだように長時間寝て、いろいろ夢をみたりしていて、
ふと携帯をみたら、以前から講読してたココルームのメルマガが届いていたのです。


ココルームのこと、ご存じでしょうか。
NPO法人「こえとことばとこころの部屋」ココルーム

わたしは随分前の、小沢健二さんがひふみよ復活ライブをする少し前、
スカイプの中継イベントがあるときに、主催なさっていたことで存在を知りました。


その後もメルマガだけおもしろいなぁと思って読んでいたにもかかわらず、
足を運ぶ機会を失したまま来ていたのですが、
今回なぜか行ってみようと思って訪れて、あれよあれよと、そのままスタッフとして
お仕事かかわらせてもらっています。


わたしの大事にしていることを、
どれだけココルームの活動に共振させて生かせるだろうか、と
日々とてもとても悩み続けていますが、
4月にはゲストハウス付きの大きな建物に移転が控えており、
釜ヶ崎という地域密着の活動、アートマネジメント的な要素に加え、
ゲストハウスという海外からのお客様が頻繁に出入りするおもしろい場になっていくということ、
とても楽しみにしています。


釜ヶ崎という場について、わたしは知らないことばかりなのですが、
それと同時に、ずっとおっかけてきた、エネルゲイア領域とキネシス領域の連携、
というテーマからとらえたとき、
ここほどそれが顕著にわかりやすく日常にはみだしている場もないのではないか、
ということを日々感じています。


アーノルド・ミンデルのディープ・デモクラシーのなかで、

周縁化している要素
(日頃追いやられてないことにされてしまっている要素)

にどう対峙していくか、
これが世界的にいちばん大事なポイントだ、
といった趣旨のことを書かれていましたが、
まさに、
この問題は親子、それから、
立場の強い存在と弱い存在の間で日常的に繰り広げられている、
様々な問題の構造、全部共通していて、シンプルでありながらとても深いテーマです。


この周縁化にどう対峙するか、という問題は、
自分の身体におきかえてホリスティックな視点でとらえたとき、
からだのなかのどこかに、しわ寄せを貯め込むこと(問題を周縁化させること)が、
病の源そのものなんですよね。


ホリスティックな生き方を貫こうとしたとき、
お金の稼ぎ方、一日の過ごし方、それに合った食事、、こういったことの連動に
敏感に生きずにはいられません。


死ぬまできっと、答えはみつからないかもしれないけれど、
この領域を問い続けたいという思いがあるからこそ、
かえって生きている意味があるのかな、
なんて最近は思います。


そういうわけで、
久々にチャート読みも再開します。
代金はカンパ制でさせてもらいます。


準備に大体3時間、対面でお話したり、
メールやりとりに最低でも2時間くらいかけます。
自分が5時間くらい、大事に集中して時間をつかったら、
いったいどのくらいお金をもらうとそれに見合うと思いますか。
それとくらべてもらうといいかなぁと思います。

ですが、、それすらもぶっとんでしまいます、、、

ぶどう園の労働者のたとえ、という
聖書のエピソード、ご存じでしょうか。
(わたしはキリスト教信者ではありません。。
哲学書のひとつとして聖書を読み解くスタンスです)


この話、朝から一日労働した人にも、
夕方からはたらきにきた人にも、1デナリなんですよね。
朝からはたらきにきた人が怒って「夕方から働いただけやのに満額もらうなんてずるい」
と訴えたところ、イエスは「そういう契約で、双方納得したはずだ」と返した
という非常に不可解な話です。


いろいろな読み解き方があるのだと思いますが、
わたしはこのエピソードから、「双方が納得した契約」であるかどうか、というところが、
真の「∞」な関係性ということなのだろうな、と感じました。
他の人とくらべて同じように取り扱われているか、ではなく、
個 vs 個で、互いに納得していれば全部ありだ、という。


そういうことを大事にしたいので、
金額は設定しないことにしています。

大事なものだからこそお金を使う、
大事なものだからこそタダだろう、、

貨幣は基本的に、
中身がなければないほど流通しやすいメカニズムを持っているので、
このあたりとどう対峙するか、
これはわたしにとっても、このテーマをつきつけられたそこのあなたにとっても
ちょっとした挑戦かもしれません(笑)


お金を払う、いただくというときに、
いままで接点がもてなかった同士に、
橋が架かる、そのツールがお金。


生きた関係性が生まれるためには、
お金があるだけでは生まれない。
けれど、その額もいろいろと見合ってなければならない。


この領域にチャレンジしてみることは、
とらわれている呪縛に立ち向かうということ。


そんな感じで、できるかぎり、
お金のホワイトマジックの側面を意識しながら、
時空間の縛りをゆるめる実験の一環でもあります。



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