2015年5月31日日曜日

本日の魔法の呪文22



"老人はすぐその宝石をかごにひろいはじめ、
おかみさんも手伝わねばなりませんでした。
ひろいおわると、
二人はそのかごを岸辺のすこし高くなったところへ運び、
老人はかごの中身をひとつ残らず流れに投じました。
リーリエもおかみさんも、
いくつか取っておきたいと思わないではなかったのですが。
宝石は輝きまたたく星のように波間をぬっていき、
流れ去ったのか、底に沈んだのか、誰にもわかりませんでした。"

ゲーテ メルヒェン 乾 侑美子 訳 P43 より

この作品、ノヴァーリスやエンデのインスパイア元だと言われていますが、
ほんとうに味わい深くておもしろいお話です。

ゲーテにとっての黙示録だということですが、
まさに、人間の魂の成長過程がきれいに描かれているなぁと思います。

美しき緑の星の映画の世界観に近いところがあります。
みかけたらぜひ読んでみてくださいな。

2015年5月30日土曜日

本日の魔法の呪文 21



"しかし、きものというのは、着始めると集まってくる。
最初に書いたが、必要なのは決意だけなのだ。
わたしはきものをこれからずっと着る、
と決めれば、きもののほうから集まってくる。"
三砂ちづる きものとからだ より

これ、どんなテーマでも起こる魔法ですね♪

2015年5月29日金曜日

本日の魔法の呪文 20



"凡ての他の罪惡がそこから生ずる根元的な罪惡が二つある。
性急と怠惰。
性急の故に我々は樂園から追出され、
怠惰の故に我々はそこへ歸ることができぬ。
併しながら、
恐らくはたゞ一つの根元的な罪惡があるのみであらう。
性急。
性急の故に我々は追放され、
又、
性急の故に我々は歸ることができない。"

罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察  フランツ・カフカ  中島敦訳  より


なにげなーく、お絵描きしてたら今日は、
蛇足な感じで4つ、変なものを書き足してしまいました。

さてこれは、蛹の中でどろどろに溶けた後でてきた蝶なのか、
それともどろどろと腐敗しているものに群がる蠅なのか(笑)

そのきわきわをきちんと生きることってほんとむずかしい!

2015年5月28日木曜日

本日の魔法の呪文 19


"モーニーはできあがった絵をわたしによこしました。
絵にはいまや、
まっくらなやみ夜がえがかれているだけです。
「ねえ、これでいい?」
わたしはしばらくそのまっくろい絵をながめてから、
なずきました。
「こりゃあ、だいけっさくだよ。
ここにほんとはなにがかいてあるか、
知っているものにとってはね。」"

モーニーのすばらしい絵 ミヒャエル・エンデ より

役に立つ、ということの最終形態.......

菅野完さんがついったーで、
スマホゲームとパチンコ屋とサラ金と過払い金相談と霊園の広告は
消費の最終形態みたいで怖いとおっしゃっていましたが、
サービスというものをつきつめたときのおそろしさ、
というものについていろいろ思ってしまいます(笑)

2015年5月27日水曜日

本日の魔法の呪文 18



" たとえばゴヤなんかを考えれば、
もうわからなくなります。
彼は戦争のシーンも描いています。
しかし重要なのは、歴史の状況を知っていることではありません。
その背後にある地獄の体験が重要なのです。
それは、歴史解釈を、
したがってそこに描かれている具体的な状況を、
はるかに超えたものなのです。"
絵を「理解する」 ミヒャエル・エンデ 闇の考古学より

体験ってなんなのかなとときどきすごく思います。

世界中飛び回ったり、
たくさんでかけていろんな人に会い続けている人は、
果たしてそうでない人より
体験が豊かと言い切れるのだろうか?

その人が、自分の真我のストーリーにあらがわず
生きることを引き受けていたなら、
まったく違う境遇の他人が持つ「地獄の体験」を、きっと理解できる。
お互いのストーリーの共振が起こる。

芸術というものが、唯一無二であるにもかかわらず、
いや、だからこそ、、
多くの人と深いレベルで響きあえる。
そういうことへの信頼をしっかりと取り戻して行きたい。


小さな規模からだけど、
そういう有機的なつながりが身近なところで動き始めていて、
これを大事に育てていこうと思っています。


昨日は不完全な形に成り行きでなっていたフラワーオブライフ。
今日は色を重ねているうちに、綺麗に円形に落ち着きました。

同じモチーフでも色で印象が全然変わりますね。
コンパスで地味に下書きして自分で色塗りすると楽しいです。

2015年5月26日火曜日

本日の魔法の呪文 17


"自然がみずからの秘密を、
だれかに打ち明けはじめる。
その人は、
自然を最も適切に注釈する芸術への抗しがたい憧れを感じる"
散文の箴言 ゲーテ より

毎日1枚お絵描きをしてここに載せていますが、
作品として観賞するためというより、
その日の心情メモみたいなつもりで載せています。

ワークショップなどでもし、こういったものをやりましょう、とお誘いをかけるとき、
たいていの人は、できあがったものがどんな風に見栄えがよくて、
それがいかに簡単にできるか、ということを重視します。

でも、わたしがこれに取り組んでいるのはほとんど全く反対の動機と目的で、
完成させて飾ることよりも、描く過程で、色が変遷していく様子を全身で
注意深く味わうことそのものに意味があると感じています。

非のうちどころなく整ったものをつくるのは、機械にまかせればいい。

そんなものをてっとりばやくつくったところで、
心は置き去りにされたまま。

たとえ1本の線しか引けなくても、
混ぜた色が思った通りにならなくても、

それを自分の意志により扱った、ということにより、
手に入れた力というものは、誰にも奪えない大切な生きる力だと思ってます。

そういったことを分かち合うことをじわじわはじめていきます。

2015年5月25日月曜日

本日の魔法の呪文 16


"「患者が主体的に本来の意味での狂気を貫き、
自己変革、相互変革を行うことが"なおる"ということです。
そしてもしあるべき心理臨床活動が存在するとすれば、
それはこの患者側からの変革に連帯し、
協力するものでなければなりません。
その場合変革の主体は患者であって、
心理臨床家ではありません。
(略)
ただ、患者が狂気を貫徹することを助けるような形での
心理臨床活動は果たして可能でしょうか。
現在の段階では少なくとも非常な困難があるようです。
もしそれが不可能であるならば、
患者の要請によるものは別として、
心理臨床活動をひとつひとつやめていくこと以外に
道はないのではないかと、
私は思うのです」 
吉田おさみ 『臨床心理学研究』十四巻一号 "

心の専門家はいらない 小沢牧子 P90より

なおる、ということがどういうことか、
という意味づけにまつわる深い話。

アロパシーとホメオパシーの対比について
思いを馳せたことがあるひとならきっとぴんとくるはず。

外からみたときに見分けがつかなくても、
このあたりのスタンスがどうなのか、ということは
魔法の要だと思ってます。

レムニスカート∞ のマークをみればわかるように、
左右同じ大きさの〇がふたつつながっています。

わたし自身が、内にある狂気をしっかり引き受けて生きることが、
命の循環のはじまり。

2015年5月24日日曜日

本日の魔法の呪文 15


"生の歡びを感ずる時は、つまり自己を感ずる時だとおもふ。
自己にぴつたりと逢着するか、
或はしみじみと自己を噛み味つてゐる時かだらうとおもふ。
 さういふ意味に於て私にとつては矢張り歌の出來る時がそれに當る樣である。
それも、うまく出來て呉れる時である。
 歌が思ふ樣に出來る時は萬事萬物すべてが無意味でなくなつて來る。
自分を初め、自分の周圍に在るすべてがいきいきと生きて來る。
自分を中心としてめい/\が光を放つてゐる樣な明るさを感ずる。
自分を中心として全てが成り立つてゐる樣な力を感ずる。
初めて、我此處に在り、といふ歡びが五體の中に湧いて來るのを感ずる。"

樹木とその葉  自己を感ずる時  若山牧水  より


若山牧水にとっての「歌」のようなもの、
わたしにとってはなんだろうなぁ?

2015年5月23日土曜日

本日の魔法の呪文 14


"後年、伊太利イタリアフローレンスで「花のサンタマリア寺」を見た。
あらゆる色彩の大理石を蒐めて建てたこの寺院は、
陽に当ると鉱物でありながら花の肌になる。
寺でありながら花である。
死にして生、そこに芳烈な匂いさえも感ぜられる。
私は、心理の共感性作用を基調にするこの歴史上の芸術の証明により、
自分の特異性に普遍性を見出みいだして、
ほぼ生きるに堪たえると心を決した。
 ――人は悩なやましくとも芸術によって救われよう――と。"

岡本かの子 桃のある風景 より


彷徨うということは、答えを探すというより、
問いを探しているのかも。

そんなことを思ったときに、
無造作に、大量に、問いがたくさん羅列されていて、
それを次々片づけていく、ということは、
たくさん作業しているようでいて、
ほんとうはなにも片づいていないのかも、なんて。

2015年5月22日金曜日

本日の魔法の呪文 13



"繰り返すが、あなたへのアドバイスは相手を信じないこと。
少なくとも今だけは。
自分の体験と知覚を信じること。
攻撃的な相手はあなたと世界を傷つけているかもしれないが、
そうした相手は文明が始まって以来、
光を求めてきた葛藤の核である。
尊敬の念をもってプロセスするなら、
その葛藤とその無意識は、
あなたに自身の未知の部分について教えてくれるだけでなく、
あなたの周りの世界が関係性と葛藤全般について学んでいくようにもなるだろう。"

人間関係にあらわれる未知なるもの アーノルド・ミンデル より

今日はものすごく久しぶりに家の模様替えをやっていました。
好きな布なのにしまいこんでいたものをひっぱりだし、
たまっていた埃をはらい、窓を開けて、
あら、こんなに気持ちがいい部屋だっけ、とびっくりしました。


それにしても、慣れないことや普段やらないことに手をかけたとき、
脳内で「そんなことやってていいの?」という声ががんがん聞こえます。


その脅すような声を無視していると、
反対に優しくてあたたかい声が、小さなボリュームだけど、
ちらちらと聞こえるようになってきました。

今日も自分なりにベストを尽くせた、と思えるなら、
今日の分のストーリーはちゃんと進んだってことです。
ゆっくりする時間をもとうっと。

2015年5月21日木曜日

本日の魔法の呪文 12



"高橋くんは私のことを知らないし、
誰かを癒そうと思って庭にいたわけではない。
自分が死んだ後にどうなるかも考えてなかっただろう。
ただのめりこんで夢中に庭を創り、
庭に創られていただけだ。
始めは彼の不自由な肉体からの逃避だったかもしれない。
しかし、だんだんと庭と彼は一体になって生命の歌を歌いだした。
人がそんなふうに打ち込んだなにかは、
必ず他の人の魂に届くのだろう。
私も燃やそうと思った。
私の命を、日々の中で。"

王国 その3 ひみつの花園 よしもとばなな より

ときどき、自分が何に突き動かされて生きているのか
わからなくなるときがあります。

そんな力に抗わず、その通り道に徹することができたらいいなぁ、
と最近とても思います。

2015年5月20日水曜日

本日の魔法の呪文 11



"毒薬変じて薬となる

毒薬が一変して薬になることで、
害だったものが有益なものに変わるたとえ。
また、物は使い方によって毒にも薬にもなるというたとえ"

あすとろ出版 「故事ことわざの辞典」より

強い方向性を持ったエネルギーは、
使う人が愛をもって扱えば全部生命エネルギーに、
無責任に空っぽなまま扱えば死を促進させるエネルギーになって
はたらきます。

陰陽が相対的であるのと同じことで、
ひとつのストーリーの、どこに位置づけられるのか、によって、
同じことが毒なのか薬なのか、は常にひっくりかえります。

そのことをあらためて、しっかり意識したいです。

2015年5月19日火曜日

本日の魔法の呪文 10


"治癒のためには、
ネガティブに考える勇気を奮い起こさなければならない。
私の言う「ネガティブ思考」は、
現実主義(リアリズム)を装った暗くて悲観的な考え方ではない。
それはむしろ、
何がうまくいっていないのか考えてみよう
という姿勢なのである。
バランスを乱しているのは何だろう?
私は何をないがしろにしてきたのだろう?
私のからだは何に対してノーと言っているのだろう?
こうした問いかけをしないかぎり、
私たちのバランスを乱しているストレスはいつまでも隠れたままなのである"

身体がノーと言うとき ガボール・マテ 


きちんと現状認識をすることは、
トルテックが言う「ストーカー(戦士)」と同義。

そのことではじめて、外から押しつけられている悪夢から脱し、
自分の夢を作り出して生きることがはじまります。

葛藤の場面で、責めてくる心の声はどんな声色をしていますか。
その声を聞いておそろしくなったり、どうせ自分はだめだ、と思わされるなら、
それは嘘。
パラサイトからの誘惑。

「だからどーした!」「それが何か?」と思いっきり無視しちゃいましょ。

2015年5月18日月曜日

本日の魔法の呪文 9


"魔法の力をかるく見られたり、
まるで自分の持ち物のように扱われたり、
見せびらかされたり、
また魔法がなんとなくつかれてしまったりしたとき、
魔法は、俗にいう『イヤケガサス』という状態になるらしい。
すると勝手に休暇をとったりするようだ。
天と地の境目あたりに、
『魔法のとまり木』というのがあってね、
その木にとまって、
おなじような仲間と愚痴をいいあったり、
ときには寝たり起きたりして、
うつらうつらと過ごすらしい。
(略)
そして、イヤケが回復すれば、
もどってくるといわれている。"

魔女の宅急便 その5 魔法のとまり木 角野栄子 作 より


魔女の宅急便の続編より。

角野さんの描く魔女の好きなところは、
調子が良いときのことも、わるいときのことも、
どちらの過ごし方も教えてくれるところ。

魔法というものを、
一瞬で効き目を発揮する
鎮痛剤か何かのように思っている人が多いけど、
ほんとの魔法は、
なだめたりすかしたり、
なかなか思うようにいかないもんです。

迷ったらゆるめる、速度を落とす。
明日から水星逆行ですし。

2015年5月17日日曜日

本日の魔法の呪文 8



"朝おきると
机のしたで うさぎが
死んでいました

まだ ほんの こどもの
野うさぎの ようでした "

うさぎのルーピースー
どい かや より


ちゃんと生きている人がとても少ないこの時代、
死というものの嘘のなさ、強烈さ、優しさ、
そんなことを最近ちょっと思うのです。

その感じはちょうど、偽善がむずがゆくて、
ほんとの悪の生き生きした感じに出会った方がよっぽど、
こちらもにっこり生きられる感じに似てます。

今日はわたしの苦手なターコイズ色が、好きになるように
と思って描きました。

どうもわたしは、
嫌いなものや自分のストーリーに合わないものを
無理矢理受け入れる、という練習や刷り込みを
人の何倍もやりすぎてきたようで、
好きなものや自分のストーリーに合うものが、
反対に受け入れられなくなっている、
そんな状態になっているみたいです。

そのねじれをもとにもどしていく途中。

これを読んでくださってるそこのあなたもきっと、
本来の軸に戻っていくスイッチがはいりはじめてるはず。

2015年5月16日土曜日

本日の魔法の呪文 7



"「大すきなおまえを、なんとかして、しあわせにしてあげたいの」
「でも、ちがうんです」とウグイスはいいました。
「田んぼも、いけも、ヤナギの木も、かごのなかからみたのでは、
まるっきり、ちがってみえるんです」"

九月姫とウグイス サマセット・モーム やく 光吉夏弥 え 武井武雄  より 

ウグイスはお姫様からネコから守ってあげる、と鳥かごに閉じ込められます。
けれどそのことで歌えなくなります。
黒砂糖をもらってもなおりません。
とうとう弱って死にかけて、やっとカゴの外に出してもらい、
野山を飛び回ってそこではじめて、
美しい歌声と生気を取り戻します。


美しいものや、生き生きしているものが、なぜそんな存在でいられるのか。
それを支えているものを切り離し、いいとこどりをしようとすることは、
生命にかかわること。

美しいものやファンタジー、生きたエネルギーは、
生きとし生けるものにとって死活問題。

それは一部のひとたちのおはなしではなくて、
わたしたちみんなにとってそうなんです。


宇宙は、おなかを満たす豊かさだけでなく、
こころを満たす豊かさもちゃんと用意してくれる。

そのことへの信頼を取り戻すこと。
宇宙は美しい世界が大好きです。

2015年5月15日金曜日

本日の魔法の呪文 6



" もしさ、ぞうに おふろの おゆを のまれちゃう、
たかに ごはんを 食べられちゃう、
ぶたに ずぼんを はかれちゃう、
かばに ふとんを とられちゃうとしたら、
ねえ、どれがいい?"

ねえ、どれがいい?
ジョン・バーニンガムさく まつかわ まゆみ やく  より


主人公の男の子が、
これらのすっとんきょうなシチュエーションに
淡々と巻き込まれていく感じがたまりません。

どう考えても善悪や正誤で選びようがないシチュエーションから
どれがいいか真剣に悩む。

そして、
他人の選んだものは自分にとってたいてい
「ありえへん!」と感じるのが当たり前。

ありえへん!をお互い笑って「ありだよねー」と生きられたらいいなぁ。
それが愛ある共生やと思います。

2015年5月14日木曜日

本日の魔法の呪文 5



" この本には、
十分に熟考を重ねたすえの
一つの学びの道が示されています。
知性や才能の有無とは関係なく、
内的成長を探し求める人なら誰もが、
その道を歩むことができるのです。
(略)
事をなそうとする私の「自我」からの力が
萎えてしまいがちな現代において、
また、反リズム的なものが私たちを病に陥れ、
魂を枯渇させようとする、
まさにこの現代において、
この学びの道は、
健やかな魂を育みつつ、
活性化してゆく諸力の一つの源泉となるでしょう。"

フォルメンを描くⅠ ルドルフ・クッツリ P7より

わたしたちはかたちがあふれかえった世界に放り出され、
それらの力に弄ばれているのに、
かたちのもたらす力について、
わたしたちはあまりにも何も知らないまま。

自分にとってしっくりくるかたちを思いだすことは、
自分のストーリーを呼び覚ます大事な一歩。

2015年5月13日水曜日

本日の魔法の呪文 4



"おおいに喜び、
おおいに苦しんだからこそ、
私の人生の傷は洗い落とされ、
眼のくもりはとれた。
私たちは、自分のものの見かただけを頼りに
現実を「人工着色」して見るのではなく、
誰一人としてたどり着いたことのない世界から
見なければならない時代に入っている。
長年にわたる個人的な経験から、
私はこうした洞察に至ったのである。"

ジェイコブ・リバーマン 光の医学 より

癒えるということは、嫌いな色がなくなること。
嫌いな色を好きになる、愛せるようになること。

フルスペクトルの太陽光をせっかく浴びても、
その中に含まれる嫌いな色の波長やエネルギーを、
わたしたちは知らず知らずはねのけて生きています。
そのことで、結果的に体調が悪くなります。

嫌いな色について、どうして嫌いになったのか、
そこに向き合うことができたら、もう嫌いじゃなくなります。

その過程は決して楽ではないけれど、
そうやって少しずつ、自分の真我からのドリーミングを
取り戻していくのだなぁと思います。

2015年5月12日火曜日

本日の魔法の呪文 3


" ガーゴイルたちは、彼らのみるものについて、
また、いる境遇についてぼやきあう。
ひるひなか、
そこがどんなに暑いのか。
大時計のそばにいるものたちは、
そこがどんなにうるさいのかも、また。

彼らは通りすぎる夏や、
雨についてぼやく。
雨は、大きくあいた彼らの口から
奔流となって流れでる。
そして、
秋の落ち葉で彼らののどをつまらせる。"

夜がくるまでは 
作 イヴ・バンティング 絵 デイヴィッド・ウィーズナー 訳 江國香織  より

今日は久しぶりに雨なので、
雨樋の怪物、ガーゴイルについてのこのおはなし。
このおはなし、絵がとっても魅力的なので、みかけたらぜひ読んでみてください。

ガーゴイルはこんな生き方がたのしくてしょうがない奴らです。
ゴキブリみたいに、どこの街にも生息しています。

彼らのみている世界とわたし自身のみている世界は同じでしょうか。
ガーゴイルの超ネガティブな世界観は、
わたしが望むなら、
ここまで真っ暗な世界観を生きる自由もあるんだよ、
ということを示してくれているように思います。

2015年5月11日月曜日

本日の魔法の呪文 2



"やがて大人たちの笑い声も、ぼくたちのと混ざりあった。
オリビアおばとロジャーおじ、
ジャネットおばとアレックおじが、
果樹園を抜けて現れ、
一日の労働が終わった後たまにするように、
ぼくたちの仲間に加わったのである。
光と影の交錯する魔が刻が、苦労と心配を中断させてくれた。
そんな時ぼくたちは、大人がいつよりも好きになるのだった。
彼らが半分子供に立ち返っていたからだ。
ロジャーおじとアレックおじは、
少年のように草の中でのんびりと休んでいた。
うす紫のきわだって美しいプリントのドレスを着て、
首には黄色のリボンを巻き付け、
いつにもましてパンジーらしく見えるオリビアおばは、
腕をセシリーにまわして、ぼくたち全員にほほえみかけた。
そしてジャネットおばの母性的な顔からは、
苦労が絶えなさそうないつもの表情が消えていた。"

モンゴメリ ストーリー・ガール 第23章 夢はそんなものでできている より

今日の魔法の呪文は、
アボンリーへの道、というドラマの原作から抜粋です。

モンゴメリの作品の主人公は、
アンにしても、ストーリー・ガールのセーラにしても、
地でドリーミングを生きることを貫いています。

ですがこのシーン、
村に住まう普通の人々もみんな、
セーラのように一日中ではなくても、
一日の終わりにこうやって、
ドリーミングの世界にアンテナを切り換えています。
この感じ。

呪文として唱えるというよりも、
このシーンみたいな時間をつくってみる、
魔法がはたらく場をととのえる、というのが今日の鍵かな。

酒場がそういった役割を果たすことが多いと思うのだけど、
魔法を起こすためには、飲まない方が良いです(笑)

2015年5月10日日曜日

本日の魔法の呪文 1



(なぜか最近絵が描きたくなったので、いろいろ描いて遊んでいます。
これはゆめくい小人のつもり。)


" ゆめくい小人 ゆめくい小人 
  つののナイフ もって きておくれ
  ガラスのフォーク もって きておくれ
  ぱっくり 大口 あけとくれ
  子供をおどかす こわいゆめ
  はやく はやく たべとくれ
  けれども きれいで やさしいゆめは
  たべずに のこしておいとくれ
  ゆめくい小人 ゆめくい小人
  まねきを うけて きておくれ  "

ミヒャエル・エンデ ゆめくい小人 より

怖い夢、うなされる夢はもう勘弁、な人。
不眠症でぐっすり眠れない人に、今日の呪文。

こわい夢をみるのをおそれて寝つけないお姫さまが、
ゆめくい小人を呼び出すための言葉です。

ありがたいことに、この小人さんは、怖い夢や悪い夢が大好物で、
いつもおなかをすかしているそうなので、
わたしたちもこの呪文をとなえて、小人さんに助けてもらうといいかもしれません。
一度きてくれると、もう二度とうなされることはないそうですよ。

悪い夢から守ってくれる蜘蛛の巣状態のドリームキャッチャーもありますけど、
小人さんが悪夢をよろこんでむしゃむしゃ食べてくれる感じが好きです。

夢自体にもエネルギーがあるので、いくら悪夢であってもちゃんと成仏
してほしいなと思うのはわたしだけでしょうか。

2015年5月9日土曜日

ドリーミングにつながる、呼び覚ます

夢という言葉から、何を連想しますか。

大きくなったらお花屋さんになる
大きくなったら宇宙飛行士、いやサッカー選手

・・・・目指す職業、目指す人物像、みたいな感じ。

それとも、
寝ているときに見る夢かな。


トルテックというメキシコの先住民族によると、
夢は寝ているときだけでなく、起きているときも24時間ずっとみているもの、
とされています。

多くの人は、「飼い馴らし」という社会や大人からの刷り込みにより、
「世の中こういうものだ」「これが常識だ」と思い込んで生きていますが、
トルテックによると、これこそが悪夢であり、わたしたちに寄生し巣くっている偽物です。

そこから目覚め、
本来の自分を取り戻して自分だけの夢をかたちづくり、それを地続きで生きること。

いままでも漠然と「そんなことできたらいいよなぁ」と半ばあきらめまじりで、
冗談半分で思っていましたが、ありとあらゆることがたちゆかなくなり、呑気なことを言っていられない状況に追い込まれました。

いまでもどこか「まさか」そんな世界なんかあるものか、とちょっと思っています。
でも、後戻りはどうやらできなさそうです。

しばらくはこのブログを拠点に、わたし自身が自分自身のドリーミングを思い出し、
つながることを少しずつ取り戻しながら、
同じようにそうしてみたい、自分のドリーミングの世界を思い出してみたい、
という人達のお手伝いをしていきたいと思います。


"私たち自身の自由に焦点を当てようと決意することは利己的なことではありません。
それは私たちが人類に対してなしうる最も大きな贈り物なのです。"

~ドン・ミゲル・ルイス 四つの約束 コンパニオン・ブック P8 ~