2015年9月20日日曜日

本日の魔法の呪文 123


"池谷:心理学で有名なジェームス・ランゲ説では、悲しいから涙が出るのか、涙が出るから悲しいのかという議論で、「涙が出ているから悲しいのである」と唱えられていますよね。
認知的不協和というのもこれに似ていて、出力に対して、内面を合わせてしまう。
そういう面白い心理があって、そのあたりの研究は心理学でも一世を風靡しました。

鈴木:それは法律の実務でも実感します。法律相談がうまくいかないときって、たいてい法律的に答えるのが早すぎたときなんですよね。

池谷:いきなり結論を言ってしまう。

鈴木:ええ。相談者からすると、法律の議論そのものが気に入らない。だから、懇切丁寧に説明しても、もうその同じ説明は不快でしかない。私としては、何回拒絶されても、結論としてはそれしか言いようがないんだけどなと思いながら・・・。"

※ ジェームス・ランゲ説
身体的・生理的変化を認知することで感情が引き起こされるという心理学の理論。アメリカの心理学者W・ジェームスとデンマークの心理学者C・ランゲが唱えたためこの名がついた。"



和解する脳  池谷裕二×鈴木仁志
認知的不協和と「理」を使うタイミング  P195より抜粋

この、出力に対して内面を合わせてしまう、というのは、
肉体の動きや本能に翻弄されている、
キネシス優位な人々に対してあてはまる話だなぁとつくづく思う。

この部分を読んでいて、ひっくりかえせば、理不尽な要求であっても、
相手の「気持ち」さえなだめれば無理矢理通すことは可能である、
という風に読めるなぁとあらためて思った。

実際、世の中のクレーム対応がまさにこれで、「気持ち」をいかになだめるか、だものね。

けれどあまりにそんなことばかりがまかりとおっていくと、
ある日突然全てががらがらと崩れる、そういうことになるしかないと思う。

2015年9月19日土曜日

本日の魔法の呪文 122

"最近はいろいろな文献が日本でも出版されるようになりましたが、それでも神秘学は概念としてまだ非常に不明確です。いわば生まれかかっている学問領域であるということができます。

ですから、そういうことに関わってしまうと、どうも人生の大通りを歩くことができなくなってしまって、自分で歩いている道が果たして確実な道なのか、それともとんでもない脇道なのではないのか、という疑問がどんな場合にもついてまわると思うんです。
回り道をしていろんなことをやることは、むしろ神秘学を志す者にとっては、かえっていちばんそれらしい道を歩いていることになるのかもしれません。
何がどこに通じているのか、なかなかわかりませんから。
予感とか憧れのような不確かな感情に導かれて歩かされることも多いのです。"

神秘学オデッセイ 精神史の解読  高橋厳+荒俣宏  P20より抜粋

この本は今わたしの大のお気に入りで、まだちょっとしか読めていないのだけど、
おもしろいなぁと思って適当に気に入ってRTしてきた画像とか、
エピソードとか、好きで断片を拾ってきた詩だとか、
そういったことが、別に誰かに教わってそれを拾ってきたわけじゃないのだけど、
神秘学というストーリーでとらえたらどまんなかだった、、、ということが、
この本で全部裏が取れます(笑)

シラーの第九の話も、神秘学の視点からみたらどまんなかだったのか、、、


わたしは先に、こういった「教科書」にあたらなくてつくづく良かったと思っている。
自分のアンテナにひっかかったものを自分で精査していく、この過程こそが学びの真の喜びだと思うから。






2015年9月15日火曜日

本日の魔法の呪文 121



"インドの月神チャンドラは女神ではなく男神ですが、豊穣の神です。
ヒンドゥー教の創造神話「乳海攪拌」の時に生まれました。この月神
の名前チャンドラCandraは、サンスクリットで「月」の意です。時代が経つと、月の神は「ソーマ」と言われる神となります。
(略)
やがて月が水のコントロール(潮汐現象)に関係することから「月の神」と結びつくことになったようです。いつしかこれらが同一化され、チャンドラはソーマと同一神とみなされるようになりました。"


月の光で野菜を育てる 永田葉子 木谷美咲  P38より抜粋

チャンドラといえば、インド映画のミモラで、
満月の夜にアイシュワリヤ・ラーイが舞い踊る美しい映像を思いだすのだけど、
月が水のコントロールをになっているというポイント、
ごくごくあたりまえの話なのだけど、このことの大きさについてあらためていろいろ思う。


重力=引力+遠心力

重力は、赤道で最小、極で最大、
遠心力は、赤道で最大、極で最小

この問題と、憑依現象みたいなものと、潮の満ち引きみたいなものは、
かなり関連しているのではないかなぁと直感的に思う。

月の呪縛とは、体内の水分量の変化により、感情が翻弄され、気分に流されて生きてしまうということとほぼ同義だろう。

月関連の占いやらセラピーやら、そういったものがはたらきかけるのは肉体と、原始的な感情領域。人間らしい高次の意識状態は、むしろ月から自由にならないと無理。

重力と遠心力、陰陽論でいうならば陽性と陰性のエネルギーとも言えるのだけど、
物質領域での力が最大限に満ちている空間では、
まさに高次の意識状態がほんとうにないがしろにされる。

だからこそ、そういう空間に携わることで学ぶこと、鍛えられることもたくさんある。

今の職場は超重いものを扱う仕事なのだけど、そうでありながらも、
筋肉まかせになってしまわないでいることは、ほんとうにおもしろい。

2015年9月14日月曜日

本日の魔法の呪文 120


"次のことは肝に銘じていただきたい。完全な直観に到達しようと思うならば、正常なものと異常なものを同時に、揺れ動き作用しあっている状態で眺めなければならない。"

ゲーテ形態学論集  木村直司編訳  植物メタモルフォーゼ論の展開  P247より抜粋

夢占いのようなシンボル解釈を、
昼間の夢=日常に持ち込むやり方を、現象占いと言ったりする。

日常をシンボル解釈することはまさに、
正常と異常という風に裁かず、起こっていることに耳を傾ける感じがする。

シンボルを勝手に解釈したり、ファンタジーの世界を現実にあてはめるなと言われる理由は、
ゲーテがいうような、こんな境地で世界を受け止める力がない人達が、
焦って偏った意味に決めつけ、それに凝り固まってしまうからなのだろうな。

2015年9月13日日曜日

本日の魔法の呪文 119


"普遍的、自然的宗教は、本来信仰を必要としない。というのは、創造し、秩序をあたえ、指導する偉大な実在は、自己の存在をわれわれに理解させるために、いわば自然の背後にかくれているという核心、このような核心は各人の胸におのずと湧きでるものであるからである。
よしんば人間が、彼を生涯のあいだ導くこうした確信の糸を時として見失うことがあっても、彼はまたすぐに、いたる所で、それをとりあげることができる。"

ゲーテ 詩と真実  第一部  山崎章甫  訳 P233  より抜粋


15年前頃の仕事場と、今の仕事場でおおきく異なっている点があるとすれば、
作業をする人々が、勤務時間中に一息つける、というゆるみを全く許さない、というところが大きな違いだと思う。

昔は、忙しさに緩急があり、どんな職場であっても、ゆるみの時間込みで時給が発生していた。
それが、今は時給発生中は、息をとめたままずっと作業をし続けなければならない、
という職場ばかりだ。

いつのまにそうなってしまったのかわからないが、それがあたりまえになっている。

が、これが愚かだということは、ある程度人間らしさを持っている人ならわかるだろう。

今の推奨されている生き方は、力まかせに肉を食べがんがん働き、病気になったら
「よくやったね」と褒められがっつり金を病院に払って死んでいく、というものだろうけど、

仕事中にゆるみを許さないシステムを組んだ場合、
かならず、機械が誤作動したり、ケアレスミスが発生してその取り返しに余計に時間がかかり、
結果的に作業が滞る、というかたちでバランスをとることになる。

どうせ休むなら、健康で有意義にその時間を使えばいいのに、
身体を壊し、寝込んで身動きがとれない状態でしか休めない、、

そういう在り方がどんどん極まって、究極的になってきていると思う。

そういう状態も全部踏まえた上で、淡々と醒めた状態でいつも自分でい続けたい。







2015年9月12日土曜日

本日の魔法の呪文 118


"ナメクジたちは、その畑から墓場のような雰囲気を払拭するのを手伝おうと、やってきてくれるのです。そして昔のようにナメクジが少ししかいない、調和のとれた環境を再生するには、何年もかかることが少なくありません。"

マリア・トゥーンの天体エネルギー栽培法  P92より抜粋


土地や天体の力を最大限に利用し、
それに沿ったかたちで自然に作物が実りやすくするというのは確かにそうなのだけど、
さらにそれを越えて、
農業に従事している人の個性が作物におおいに影響する段階があるのはほんとうに不思議。

アナスタシアの畑のやり方もそうだし、
土地としては劣悪な環境なのに豊作になったというフィンドホーンの話、
それからりんごの木村さんが、りんごの木にいつも話しかけているということ、
これらの、人間が自然の一部であり、
それぞれの個性というものと環境は相互に影響し合う、
ということにもっと自覚的になったらおもしろいのになぁと思う。

畑やガーデニングといった場面だけでなく、
日常的に都会で暮らしていても、この環境と人との相互作用というものは必ず起こっていて、
気象に強く影響を及ぼしている。
家について、屋根の下に入ったり、洗濯物をとりこんだ瞬間に雨がざーっと降り始める、といったこともきっと、個人の念と気象との関連があるとわたしは思っている。

月の影響に翻弄されっぱなしであるということは、
パラサイトに翻弄されたままであることときっと同義だろうと思うけど、
そこから抜けたとき、どれだけエネルギーを吸われていたか、自分を抑えつけることに自らエネルギーを使っていたかに気づくと言われている。

意志を持って生きるというけれど、
この墓場のような雰囲気を払拭してくれよう、と外部から自然に課題がやってきたとき、
その課題から逃げ回り、墓場を温存しようと強烈な力を注ぎ込むようなことをやらかしてないだろうか?

神は乞食の格好をしてやってくる、という比喩があるけど、
外部からやってくるようにみえる、パラサイトに打ち勝つためのトリガーは、
たいてい自分にとって苦虫をかみつぶすようなものであることが多い。

そのトリガーにちゃんと向き合うことができたら、
ナメクジを永遠に駆除しつづけるような人生から脱することができるのだと思う。

2015年9月11日金曜日

本日の魔法の呪文 117


"精神科学における方法、因果性はすべて忘れること。その代わりに、出来事の諸要素を分析すること。重要なのは、諸要素が急に結晶した出来事である。私の著書の標題は根本的に誤っている。『全体主義の諸要素(The Elements of Totalitarianism)』とすべきだった。ハンナ・アーレント 『思索日記Ⅰ 1950-1953』  

全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分がおこなったことと自分の身に降りかかることとの間には何も関係がない。すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は、家族・友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われた。自分がおこなったことと身に起こることとの間には何の関連性もない。発言する権利も行為の能力も奪われる。行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。

(略)

さらには、肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊される。
個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊となる、とアーレントは書いた。
自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障碍となりうる。独裁や専制と違って、全体的支配はすべてが可能であると自負し、人間の本性を変え人間そのものへの全体的支配を遂行した。「不可能なことが可能にされたとき、それは罰することも赦すこともできない絶対の悪となった」のである。"

矢野久美子 ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 P104、P112-113より抜粋

※標題とは、彼女の代表作「全体主義の起源(The Origins of Totalitanism)」について


右も左も結局のところ、やっていることは同じ、
というのは、アーレントによる説明でも明らかになりますね。

この「不可能なことが可能にされたとき」という言葉の意味をどれだけ受け止められるか。

自然は本来容赦ない側面がたくさんある。
土地によって優劣がある。個体によっても優劣がある。

その優劣というのは、ある一定の文化という枠組みがはめられたときにそうなるだけで、
その枠組みをとっぱらえば、劣が優になることだってある。

欠点は長所。
けどそれは、欠点で痛い思い苦い思いを引き受けることができるから、
長所としても生きるのであって、欠点をしりぬぐいしてもらうようではそうはいかないのだ。


その、欠点で痛い思い苦い思いを味わうことを「傷つく」「不平等」とか言って、
差をなくしましょう、土地による優劣、
個体による優劣を人為的にとっぱらうことで「平等」に幸せになれ、
とやってしまうことの悪夢を、わかっていないひとがとても多い。

そういう意味で、不便を不便のまま引き受ける強さってほんと大事よね。

2015年9月10日木曜日

本日の魔法の呪文 116



"この時代、人類はついにその子供時代を去り、成熟へと向かおうとしている。彼らはより明晰になる。彼らの理性はその直観に道を明け渡す。彼らの夢の見方は変わりつつある。恐怖は理性と精神の成長のために必要であった。理性は直観のために精神を準備させたのである。
人間は多元的な存在である。肉体と精神に加えて、わたしたちは皆太陽からの光によって形成される。人間の本当の核は、太陽と結びついたパーソナルな光線である。それゆえ、一人の人間に起こることはこの光によって太陽の知るところとなる。個人に生じるどんな変化も太陽に影響を与え、それを受けた太陽の反応が残りの人類に影響を及ぼす。これが人類進化のプロセスである。"

恐怖を越えて ドン・ミゲル・ルイス P290より抜粋



恐怖というものが、理性と精神の成長のために必要であった、というこの箇所、すごく共感する。

なに故に、多くの人よりも恐怖に直面する生き方ばかりを知らず知らず選んできたのか?

それはわたしが、
無鉄砲に、生意気に、
ただただほんとうのことが知りたいという強い欲求に突き動かされているが故なのだろう。
ほんとうのことを知るためには、成長が必要。だから恐怖も。

そんなことを思うのでした。

恐怖をちゃんと味わわない、ということが、
いつまでも恐怖をちらつかされてコントロールされる源でもあるよね。
いいもん、恐怖を味わってもかまわない、という開き直りは様々な場面でとても大事。

群れでしか行動できない多くの日本人の課題はここなんじゃないの。

2015年9月8日火曜日

本日の魔法の呪文 115


"もちろん、あなたは自分を見る鏡を必要とするでしょう。そして一番いい鏡の一つは、あなたに挑戦する人たちです。一例を挙げましょう。あなたが職場の上司との間に何か問題をもっているとします。そして状況は前と同じだとする。しかしあなたは自分の側の反応に前ほどドラマを見なくなります。あなたは前ほど他人の意見に、他者の毒に反応しなくなるのです。あなたはあなたの世界にいて幸福です。そこに上司がいたとしても。"

ドン・ミゲル・ルイス 四つの約束 コンパニオン・ブック  P136 より抜粋

他者の毒に反応してしまう自分をごまかすために用意された、
偶像崇拝的な楽しみが世の中にはたくさんあって、
安直に「楽しく生きよう♪」的に言われるとき、
これらの偽の喜びで気を紛らわせる、ということがほとんど。

気を紛らわせること全てが虚しくなって、「遊ぶ」という概念がすっかりわからなくなった。

テーマパークではしゃぐような高揚感との縁がすっぱり切れてしまった代わりに、
何が起こってもいつも、あたたかな自分が、
自分の中心からふわりと拡がる感覚がわかるようになった気がする。

それは、何かおもしろいこと、騒げること、ハイテンションになれることがなくても、
いつも静かに、自分の内にある。

もちろん、24時間そんな自分でいるわけにもいかなくて、
ハラッサーに嫌がらせをされたら嫌やわーと思う。はらだたしい気持ちはわきおこる。

そやけど、それがほんとうに、前と比べてまったく持続しない。
そのパラサイトからのひっかけが、わたしと関係がない、
ということをかなり理解してきたのかもしれない。

今日は、ぶたがえる(わたしがハラッサーに名付けた名前)以外の人々との時間も、
たくさんたくさんあたたかで楽しい時間があった。
わたしが出勤しているのをみつけてうれしそうにしてくれる人がたくさんいる。
ちょっとしたものの受け渡しの、手つきがとてもあたたかい人も。
言葉をとくに交わすことがなくても、目が合うだけで共感していることがわかる人もいる。

客観的に一日をふりかえったとき、そういった時間もたくさんある。
なのに、ぶたがえるのことで今日の記憶をいっぱいに塗りつぶすのかどうなのか?

どちらを自分のストーリーに強く引き入れるかは自分が決めている。

2015年9月6日日曜日

本日の魔法の呪文 114


"「空海」とは、限りなくゼロであり、無限だということである。枠外しということである。本当の意味での平等とは、自分が向き合う人をある枠付けしたフレームから見ている限り果たしえない。国家であり、民族であり、宗教であり、性別であり、貧富でもある。
私たちは自分のアイデンティティーを語ろうとするとき、何らかの枠の範囲内にある自分の所属性に頼ろうとする。しかし、その所属性が引き裂かれているマイノリティーの人々も大勢いる。そうした難民の数がますます増えていることも、戦火が絶えない原題に暮らす私たちは知っている。

枠のない平等な世界などこの世にあったためしはないし、理想の産物だとも言える。不可能という言い方もある。二〇〇一年から始まった新たな「戦争」は、人間にとってこの理想がはるか彼方にあることを如実に示しているように思う。もとより、文字通り枠を外して生きることは困難だ。外側から規定されたアイデンティティーではなく、みずから「おまえはいったい誰なんだ」という絶望的な問いを絶えず自分に突きつけながら生きてゆくしかないからである。
それを行おうとしたのが、実は空海だったのではないか。

枠とは、実は外側にあるのではなく、自分の心の中にある。
自分の表皮を一枚一枚めくって削ぎ落としていった時、私たちはたまらない不安におちいる。そして、ふたたび、皮をまとって自分と他者を区別し、差別する。人にとって、自分の心の枠を外そうとすることは、みずからの崩壊につながるほど恐ろしいことなのだ。
その不安な作業を、終生、行っていったのが空海ではなかったかと思う。"

『空海の風景』を旅する NHK取材班 P307~308より抜粋

枠の中にいたいと思っている人に対して、枠があるよ、あなたは枠のなかにいるよ、
という話を決してしてはならないそうだ。

このことは、枠の存在を知っている賢者は口を揃えて忠告する。

そやねんけど、枠の中にいることがかなり危機的な時代に突入してきている今、
言わずにはいられない。
そして、そこに向き合ってとっくみあわずにいられない、、

そんなことを思うのだけど、それでもみんな優しいハーメルンについていきたいのだろうな。

空海について書かれているこの箇所で、皮という比喩がでてくるけど、
とても枠、土星的な話やなぁと思う。

蠍座の最後の土星、もう生きている間に味わうことはもうない。
(いや、、、あと25年ほどしたらまたやってくるな、、)

どちらにしても、
しっかりと、パラサイト=枠の内側の世界のことを、身体に焼き付けて忘れないでいよう。

2015年9月5日土曜日

本日の魔法の呪文 113




"ユダヤ人は肉を食べるときは、その肉からすべての血が覗かれていなければならない。生命は血である。魚や獣肉を食べるとき、その血は一〇〇パーセント取り除かれているので、ユダヤ人の食べる肉は非常にかわいている。動物を撲殺すると血が固まってしまうので、そういう殺し方は決してしない。電気で殺すようなことも、血が固まってしまうので絶対にしない。

ユダヤ人はむかしから動物に痛みを与えずに血を全部取り出す方法を考えている。まず動物を殺してから肉は三〇分間水につけられ、岩塩をふりかけられ、その塩が血を吸い出す。塩をまくと塩の回りに血が吸い出されて、みている間に赤い血の輪ができるのがわかる。"

ラビ・M・トケイヤー 加瀬英明訳  ユダヤ五〇〇〇年の知恵 P179~180から抜粋

この箇所を読んでいてまっさきに思い浮かぶのが、これと反対のものばかりを食しているドイツのふつうの食生活のことだ。ソーセージというのは、ほぼ血だけでできているものもある。そういうタイプのソーセージは、日本ではあまりみられないかもしれないけど。

そういうものばかり食べる人々と、そういうものは徹底して除去して食べる人々で、
意識に差ができてくるのは当然。


営業ノルマがきつい職場で働いていたとき、
とても可愛らしく、部署のアイドルみたいなリーダー格の女の子がいた。
彼女はクレーム対応やら、うまくまるめこんで成績をあげる話術に長けていたが、
その可愛らしさというのは、魅惑というニュアンスでいえばそうだけれども、
人間としてみたときに、時にぞっとするくらい不気味な目の光り方を見せる子だった。

その彼女が大好物だったのが、ユッケ。生肉。

彼女の、ビジネスにおける敏腕スキルは、
ある意味、血を介して、パラサイトから与えられた力だったのかもしれない。
そしてその代償として、魂がどんどんすさんでいく。

2015年9月4日金曜日

本日の魔法の呪文 112



"菌は分解して土に戻すという自分の役割を果たしているだけです。死んだ細胞を食べて戻す菌の「仕事」がなければ、永遠に循環しなくなります。
植物が大きくなって葉っぱが古くなると落ちてきます。常緑樹の葉っぱでも三年したら落ちてきます。その落ちた葉っぱには、光合成と原子の転換でミネラルがいっぱいに貯まっています。その落ちた葉をミミズや昆虫やカビなどが食べて分解していって、植物の肥料になるわけです。「バイ菌」と呼ばれる菌はなく、その場その時に必要な菌が発生するのです。"
赤峰勝人 循環農法 P15より抜粋

自然の循環の世界を理解することと、
今の政治や、自分の身の回りで起こっていることは綺麗に相似形だなぁ、とあらためて思う。

悪が台頭しているようにもし見えるとするならば、
単に、腐ったもの、古くなったもの、死んだものを片づけるために
自然にバランスをとってくれているだけ。

悪がなければ、その死骸はそのまま放置され、誰も片づけてくれない。

ビタミンCを大量に摂取することで癌を防ぐ、
みたいな治療法を耳にしたけれど、
あれは、澱んだ体内環境を温存し、固めないだけで、
ほんとうに浄化するわけではないから、何の解決にもならないと思う
(別の病名でさっさと生命が絶たれるだろう、、)、
先送りしたってしょうがないんだよね、、、
これだけ死骸が山積みになった世界に生きている以上。

そんなことをつくづく思う。

2015年9月3日木曜日

本日の魔法の呪文 111


"高級そうな衣服に身を包み、全員がエルメスのバッグを持っているようなご婦人たちの集団が、とても口にはできないようなものすごい話題で盛り上がっていることもしばしばだし、いちばん隅の、障子に囲まれた席で連れの女のスカートに手を入れだした客さえいた。さすがにそれはさりげなくn何回も様子を見に行ってやめさせたが、せっかくほんとうの意味できれいなものに囲まれた落ち着いた空間にいるのに、それが内面にまったく影響を与えないことがあるのだなあ、というようなことがよくわかる。"

体は全部知っている よしもとばなな  P192 いいかげん  より抜粋


自分が生きているということに対する責任、
生まれてきた大きなストーリーへの責任、
というものを放り投げて生きている人々は、
キネシス領域と、エネルゲイア領域を素直に繋げて、
一元化して世界をとらえることはできず、
ほとんど、逆転した作用になってしまう。

それを繋げた状態で、
ここで描かれているような豊かな物質的な世界を自分のストーリーとして引き受けるということは、おいそれとやれるものではない。
グルジエフのようなスタンスだろうね。

そして、おそらく、そんな境地になれば、
物をそうやって大量に扱いたいと思えなくなるはず。

昨年の今頃かな、ピアノの仕事で、
大阪の高級飲み屋街のとあるお店にちょっとだけお邪魔した。
目玉が飛び出るくらいの金額のガラスの花瓶、
ふかふかのカーペット、シャンデリア、超高価なワインボトル達に囲まれ、
ピアノをちょこちょこ弾いて、お客様の話相手をしてればいいという割りのいい仕事だったが、
とってつけたような豪華な空間と、やってくる人々の様子にくらくらして、
偶像崇拝ごっこに加担する虚しさがどっと責めてきたので一日であっさりやめた。

そのバーのママが愛聴している歌が、杏里のオリビアを聴きながらだった。
いかにも、でしょ。
偶像を愛してたのよあんたは、という歌.....

2015年9月2日水曜日

本日の魔法の呪文 110


"ものごとはふつう、いろいろな角度から成り立っている。
しかしもしも全てを取り払って、
ただひとつの世界を見つめたらなんでも可能になる。
あの夕方、ふたりはたまたま出会い、
私の異様な内面世界に彼が全く同じ力で反応し、
化学変化のようなことが起こり、
ふたりともが現実とは違う位相に飛び込んでしまったのだ。
お互いがとまどうほど強烈な力が働いたのだろう。"

よしもとばなな 体は全部知っている   P108ミイラ  より抜粋

強烈な力に翻弄された時期を経たことは、
それがお互いにとって
どういう意味であったとしても、翻弄されたということ、それそのものが
ほんとうに貴重な体験だと思う。

わたしにとって強烈な力がいったい何をもたらしたのか、
その全貌は今でもまだよくわからないけれど、
同じ構造で、世界はずっと、歴史を重ねてきており、
国や時代が違っても生きるということは、この力との対峙、という同じテーマがある、
そのことがわかっただけでも、ここ数年はほんと良かった。

豊かさや愛を感じるとき、
手から手へ渡されるものはキラキラしたプレゼントや指輪だろうか?

神が乞食の格好をしてあらわれる、と言われるけど、
それとか、
子どもがよくおかしの包み紙で、空になったものを丸めて中に詰めて、
「はい」と渡したりするけど、
それとか、
ボルトを指輪代わりにして渡したりするけど、

そういう時に、言葉にならない真のエネルギーが流れるのかどうなのか
はっきりとわかる。

そのことの真贋をちゃんと感じられるようになったのは、
間違いなく、翻弄されたおかげなのだ。



2015年9月1日火曜日

本日の魔法の呪文 109



"たぶんあなたは自分の身の回りで起きていることをコントロールできないでしょう。
しかし、あなたは自分自身のリアクション[反応]はたしかにコントロールできるのです。"
四つの約束 ドン・ミゲル・ルイス著 P106より抜粋


自分のとっているリアクションに自覚的に生きること。
自覚的になればなるほど、軋轢を産むことも増えるけれど、
彼らから決して真の意味で傷つけられるということはありえないということもわかってくる。

外の世界の夢(パラサイトの世界)は、たえずわたしたちをひっかけようと誘惑してくる。
その誘惑にどう反応し、とりこまれるのかどうかはいつも、自分で選べる。