2015年9月11日金曜日

本日の魔法の呪文 117


"精神科学における方法、因果性はすべて忘れること。その代わりに、出来事の諸要素を分析すること。重要なのは、諸要素が急に結晶した出来事である。私の著書の標題は根本的に誤っている。『全体主義の諸要素(The Elements of Totalitarianism)』とすべきだった。ハンナ・アーレント 『思索日記Ⅰ 1950-1953』  

全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分がおこなったことと自分の身に降りかかることとの間には何も関係がない。すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は、家族・友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われた。自分がおこなったことと身に起こることとの間には何の関連性もない。発言する権利も行為の能力も奪われる。行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。

(略)

さらには、肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊される。
個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊となる、とアーレントは書いた。
自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障碍となりうる。独裁や専制と違って、全体的支配はすべてが可能であると自負し、人間の本性を変え人間そのものへの全体的支配を遂行した。「不可能なことが可能にされたとき、それは罰することも赦すこともできない絶対の悪となった」のである。"

矢野久美子 ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 P104、P112-113より抜粋

※標題とは、彼女の代表作「全体主義の起源(The Origins of Totalitanism)」について


右も左も結局のところ、やっていることは同じ、
というのは、アーレントによる説明でも明らかになりますね。

この「不可能なことが可能にされたとき」という言葉の意味をどれだけ受け止められるか。

自然は本来容赦ない側面がたくさんある。
土地によって優劣がある。個体によっても優劣がある。

その優劣というのは、ある一定の文化という枠組みがはめられたときにそうなるだけで、
その枠組みをとっぱらえば、劣が優になることだってある。

欠点は長所。
けどそれは、欠点で痛い思い苦い思いを引き受けることができるから、
長所としても生きるのであって、欠点をしりぬぐいしてもらうようではそうはいかないのだ。


その、欠点で痛い思い苦い思いを味わうことを「傷つく」「不平等」とか言って、
差をなくしましょう、土地による優劣、
個体による優劣を人為的にとっぱらうことで「平等」に幸せになれ、
とやってしまうことの悪夢を、わかっていないひとがとても多い。

そういう意味で、不便を不便のまま引き受ける強さってほんと大事よね。

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