2015年9月3日木曜日
本日の魔法の呪文 111
"高級そうな衣服に身を包み、全員がエルメスのバッグを持っているようなご婦人たちの集団が、とても口にはできないようなものすごい話題で盛り上がっていることもしばしばだし、いちばん隅の、障子に囲まれた席で連れの女のスカートに手を入れだした客さえいた。さすがにそれはさりげなくn何回も様子を見に行ってやめさせたが、せっかくほんとうの意味できれいなものに囲まれた落ち着いた空間にいるのに、それが内面にまったく影響を与えないことがあるのだなあ、というようなことがよくわかる。"
体は全部知っている よしもとばなな P192 いいかげん より抜粋
自分が生きているということに対する責任、
生まれてきた大きなストーリーへの責任、
というものを放り投げて生きている人々は、
キネシス領域と、エネルゲイア領域を素直に繋げて、
一元化して世界をとらえることはできず、
ほとんど、逆転した作用になってしまう。
それを繋げた状態で、
ここで描かれているような豊かな物質的な世界を自分のストーリーとして引き受けるということは、おいそれとやれるものではない。
グルジエフのようなスタンスだろうね。
そして、おそらく、そんな境地になれば、
物をそうやって大量に扱いたいと思えなくなるはず。
昨年の今頃かな、ピアノの仕事で、
大阪の高級飲み屋街のとあるお店にちょっとだけお邪魔した。
目玉が飛び出るくらいの金額のガラスの花瓶、
ふかふかのカーペット、シャンデリア、超高価なワインボトル達に囲まれ、
ピアノをちょこちょこ弾いて、お客様の話相手をしてればいいという割りのいい仕事だったが、
とってつけたような豪華な空間と、やってくる人々の様子にくらくらして、
偶像崇拝ごっこに加担する虚しさがどっと責めてきたので一日であっさりやめた。
そのバーのママが愛聴している歌が、杏里のオリビアを聴きながらだった。
いかにも、でしょ。
偶像を愛してたのよあんたは、という歌.....
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