2015年9月8日火曜日

本日の魔法の呪文 115


"もちろん、あなたは自分を見る鏡を必要とするでしょう。そして一番いい鏡の一つは、あなたに挑戦する人たちです。一例を挙げましょう。あなたが職場の上司との間に何か問題をもっているとします。そして状況は前と同じだとする。しかしあなたは自分の側の反応に前ほどドラマを見なくなります。あなたは前ほど他人の意見に、他者の毒に反応しなくなるのです。あなたはあなたの世界にいて幸福です。そこに上司がいたとしても。"

ドン・ミゲル・ルイス 四つの約束 コンパニオン・ブック  P136 より抜粋

他者の毒に反応してしまう自分をごまかすために用意された、
偶像崇拝的な楽しみが世の中にはたくさんあって、
安直に「楽しく生きよう♪」的に言われるとき、
これらの偽の喜びで気を紛らわせる、ということがほとんど。

気を紛らわせること全てが虚しくなって、「遊ぶ」という概念がすっかりわからなくなった。

テーマパークではしゃぐような高揚感との縁がすっぱり切れてしまった代わりに、
何が起こってもいつも、あたたかな自分が、
自分の中心からふわりと拡がる感覚がわかるようになった気がする。

それは、何かおもしろいこと、騒げること、ハイテンションになれることがなくても、
いつも静かに、自分の内にある。

もちろん、24時間そんな自分でいるわけにもいかなくて、
ハラッサーに嫌がらせをされたら嫌やわーと思う。はらだたしい気持ちはわきおこる。

そやけど、それがほんとうに、前と比べてまったく持続しない。
そのパラサイトからのひっかけが、わたしと関係がない、
ということをかなり理解してきたのかもしれない。

今日は、ぶたがえる(わたしがハラッサーに名付けた名前)以外の人々との時間も、
たくさんたくさんあたたかで楽しい時間があった。
わたしが出勤しているのをみつけてうれしそうにしてくれる人がたくさんいる。
ちょっとしたものの受け渡しの、手つきがとてもあたたかい人も。
言葉をとくに交わすことがなくても、目が合うだけで共感していることがわかる人もいる。

客観的に一日をふりかえったとき、そういった時間もたくさんある。
なのに、ぶたがえるのことで今日の記憶をいっぱいに塗りつぶすのかどうなのか?

どちらを自分のストーリーに強く引き入れるかは自分が決めている。

0 件のコメント:

コメントを投稿