2015年9月6日日曜日

本日の魔法の呪文 114


"「空海」とは、限りなくゼロであり、無限だということである。枠外しということである。本当の意味での平等とは、自分が向き合う人をある枠付けしたフレームから見ている限り果たしえない。国家であり、民族であり、宗教であり、性別であり、貧富でもある。
私たちは自分のアイデンティティーを語ろうとするとき、何らかの枠の範囲内にある自分の所属性に頼ろうとする。しかし、その所属性が引き裂かれているマイノリティーの人々も大勢いる。そうした難民の数がますます増えていることも、戦火が絶えない原題に暮らす私たちは知っている。

枠のない平等な世界などこの世にあったためしはないし、理想の産物だとも言える。不可能という言い方もある。二〇〇一年から始まった新たな「戦争」は、人間にとってこの理想がはるか彼方にあることを如実に示しているように思う。もとより、文字通り枠を外して生きることは困難だ。外側から規定されたアイデンティティーではなく、みずから「おまえはいったい誰なんだ」という絶望的な問いを絶えず自分に突きつけながら生きてゆくしかないからである。
それを行おうとしたのが、実は空海だったのではないか。

枠とは、実は外側にあるのではなく、自分の心の中にある。
自分の表皮を一枚一枚めくって削ぎ落としていった時、私たちはたまらない不安におちいる。そして、ふたたび、皮をまとって自分と他者を区別し、差別する。人にとって、自分の心の枠を外そうとすることは、みずからの崩壊につながるほど恐ろしいことなのだ。
その不安な作業を、終生、行っていったのが空海ではなかったかと思う。"

『空海の風景』を旅する NHK取材班 P307~308より抜粋

枠の中にいたいと思っている人に対して、枠があるよ、あなたは枠のなかにいるよ、
という話を決してしてはならないそうだ。

このことは、枠の存在を知っている賢者は口を揃えて忠告する。

そやねんけど、枠の中にいることがかなり危機的な時代に突入してきている今、
言わずにはいられない。
そして、そこに向き合ってとっくみあわずにいられない、、

そんなことを思うのだけど、それでもみんな優しいハーメルンについていきたいのだろうな。

空海について書かれているこの箇所で、皮という比喩がでてくるけど、
とても枠、土星的な話やなぁと思う。

蠍座の最後の土星、もう生きている間に味わうことはもうない。
(いや、、、あと25年ほどしたらまたやってくるな、、)

どちらにしても、
しっかりと、パラサイト=枠の内側の世界のことを、身体に焼き付けて忘れないでいよう。

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