2015年9月13日日曜日
本日の魔法の呪文 119
"普遍的、自然的宗教は、本来信仰を必要としない。というのは、創造し、秩序をあたえ、指導する偉大な実在は、自己の存在をわれわれに理解させるために、いわば自然の背後にかくれているという核心、このような核心は各人の胸におのずと湧きでるものであるからである。
よしんば人間が、彼を生涯のあいだ導くこうした確信の糸を時として見失うことがあっても、彼はまたすぐに、いたる所で、それをとりあげることができる。"
ゲーテ 詩と真実 第一部 山崎章甫 訳 P233 より抜粋
15年前頃の仕事場と、今の仕事場でおおきく異なっている点があるとすれば、
作業をする人々が、勤務時間中に一息つける、というゆるみを全く許さない、というところが大きな違いだと思う。
昔は、忙しさに緩急があり、どんな職場であっても、ゆるみの時間込みで時給が発生していた。
それが、今は時給発生中は、息をとめたままずっと作業をし続けなければならない、
という職場ばかりだ。
いつのまにそうなってしまったのかわからないが、それがあたりまえになっている。
が、これが愚かだということは、ある程度人間らしさを持っている人ならわかるだろう。
今の推奨されている生き方は、力まかせに肉を食べがんがん働き、病気になったら
「よくやったね」と褒められがっつり金を病院に払って死んでいく、というものだろうけど、
仕事中にゆるみを許さないシステムを組んだ場合、
かならず、機械が誤作動したり、ケアレスミスが発生してその取り返しに余計に時間がかかり、
結果的に作業が滞る、というかたちでバランスをとることになる。
どうせ休むなら、健康で有意義にその時間を使えばいいのに、
身体を壊し、寝込んで身動きがとれない状態でしか休めない、、
そういう在り方がどんどん極まって、究極的になってきていると思う。
そういう状態も全部踏まえた上で、淡々と醒めた状態でいつも自分でい続けたい。
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