2015年10月31日土曜日

本日の魔法の呪文 127


"「命というものは構造的にも機能的にも成長するもの、
という特徴をもっているが、
ネクロフィリアは成長せず、機械的なものだけを愛する。
ネクロフィリア的人格は有機的なものをすべて無機的なものにしようという動機をもち、
命を機械的なものと見なし、人間をモノのように見る。
命のプロセス、感情、思考をすべてモノに変換してしまう。
経験ではなく、記録が、そして存在そのものではなく、
所有することが重要だという。
ネクロフィリア的な人は、それが花であれ、人であれ、
とにかくその"モノ"を所有したときに自己実現ができたととらえるが、
そのような考え方は結果としてモノの所有が脅かされたときには
自らの存在そのものが脅かされる。
つまりモノの所有が脅かされるときは、
自らの世界というものが脅かされてしまうということに通じてしまう。」

フロムはさらに言う。
「そのようにして、統制を愛するようになり、統制は命を抹殺してしまう」
力をもつ者によって行われる抑圧は、ネクロフィリアそのものである。
死した者を愛するようになり、命への愛は育たない。 "

被抑圧者の教育学 パウロ・フレイレ 三砂ちづる訳 
抑圧のツールとしての"銀行型"教育 P94 より抜粋

※ フロムとは、心理学者のエーリッヒ・フロムのことです


今日引用した箇所は、まあなんというか、身も蓋もない箇所ですけど、
これ、にこにこおだやかなふりをしている多くの人々の実体だと思います。
ハロウィンでオバケみたいな仮装やるけど、内面はあれそのものだろうという。


じゃあ、この先いったいどうしたらいいのか、という話は、そう簡単じゃないのはわかってる。
即席に効くものほど怪しいものはないのだ。


そやけど、わたしは息子と10年、おだやかに暮らしてきて、
アリス・ミラーが子どもを尊重して育てたらみんなイエスのようになるのだ、
と言っていたことがよくわかる。


息子をひいき目でみているわけではなく、
彼の自足している様子、それから、他のお友達との関わり方、
先生達や外の世界と、自分の世界の折り合いのつけ方、
これらが、ほんとうにいつも「∞」だ。


結局、この子育て10年間、わたしは彼と共に過ごし、
やっと、わたしの精神年齢が10歳までたどりついた、と言っても過言ではないかもしれない。

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