2015年8月18日火曜日

本日の魔法の呪文 98


"窓がかたかたと鳴っているのを指して、子どもが「窓が寒い寒いといっているよ」というメタファーを発したとしよう。猫を「ワンワン」というのはやがて消えるが、窓の例のような擬人的なメタファーは、その後もなお続く。なお続いて私たちの心に沈殿する。そして、私たちがいま「窓が震えている」というとき、私たちも、いくぶんか、まだそこにメタファーの意味をこめて使っているのではないだろうか。古代の人は、火山が噴火するのは、山が「怒っている」というように、擬人的メタファーを通して理解した。私たちは現在、このような心性から完全に自由になっているといえるだろうか。"

メタファー思考 瀬戸賢一 P152より抜粋


瀬戸さんの本をはじめて手にとったが、
とても読みやすくわかりやすいので、他のもじっくり読んでみたいと思う。

わたしがメタファーやシンボルについて深く首をつっこむきっかけになったのは、
占星術の延長みたいなところからだけれども、
メタファーやシンボルの読み違え、というものを起こしやすい人と、
起こしにくい人という差は歴然とあって、それはいったいどこにあるんだろう?
ということをずっと考えている。

友人の師匠がずっと言っていた「気根」がない人はどうしようもない、
という言葉があるのだけれど、
まさに、読み違えをする人はこの「気根」がないタイプなのだと思う。

唯物論は、この「気根」がない人とある人、「カン」が良い人悪い人を平等に扱う世界だ。
理由は、この2つはエネルゲイア領域で顕著にあらわれるものであり、
この領域をないことにしてしまえば差がつかなくなるからだ。

そのことを利用して、散々にひどいことをやりつくした人々は、
あとでそれだけの辻褄を合わせる事になる。

逆に、この領域があることに気づき、それを忘れてしまう事ができず生きる人々は、
今の世に生きる事は痛みと苦しみの連続だろう。
でも、それと同時に、生きていることの楽しさ、素晴らしさ、愛というものを、
ちゃんと感じられるというご褒美がついてくるのだ。

今日も息子が唐突に「ママ、僕は生きてて楽しいねん♪」と話しかけてきたが、
生の感情を全て、360度自由に表面化して生きる世界の楽しさを、
わたしは息子からいつも教わっている。






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