2015年8月17日月曜日

本日の魔法の呪文 97


"一般にアラブの貧困国では、獣肉は大変な贅沢品である。
普段彼らが食べているものといえば、
豆の煮込みとトルシー(野菜の漬物)とパンくらいのものである。
ネパールではダル(豆カレー)とタルカリ(野菜の煮物)とコメである。
興味深いことに、それらは日本の「味噌汁、漬物、白飯」の組み合わせと見事に一致する。"

ハビビな人々 中山茂大 P144より抜粋

いつも思うけど、ベジやってると、多くの人々がご馳走、と思うものがご馳走に思えず、
貧しい粗末な食事、と言われているものが美味しくてたまらない。

この本には、バングラディッシュの話もちらっと触れてあり、
バングラディッシュの青年にとっつかまると、
祖国賛美をえんえん聴かされてうんざりする(国土として何も自慢できるものはないくせに)、
といったエピソードが書いてあるのだが、
わたしも昔の職場でバングラディッシュ人と働いたことがあり、
彼のきらきらした瞳と、自分の家族と国が大好きでたまらない、
といった素朴で熱い心にとてもびっくりした覚えがある。

今の日本に欠けているのはこの感覚やなぁとほんと思う。

どうして彼が、てらいもなく家族や祖国が大好き、と口にできるのか。
わたしたちはどうして、それができずに一瞬ひるみ、曖昧なほほえみを浮かべてしまうのか。

あらためて、ほんとに次の世界へ行きたいならば、
立場を変えることで(下克上(笑))は何も解決しない。

今いる立場で、それぞれがいる立場で、この状態に対する認識を変えていく、
それしかないんだろうな、とあらためて思う。

立場を取り替え、すりかえることをしないことは怠慢だ、努力が足りない、
という文脈で、散々責められてきた人はとても多いように思う。
あるいは、立場を守り、あけわたすな、
ということだけを徹底するように言われてきた人も同様だ。

問題の核心は立場をどう扱うか、にはなくて。

朝三暮四のように、立場を切り換えたところで、あるいは立場を守るために
小手先の変化でめくらましをしたところで、、

支配被支配の世界では、どこにも愛はないのだ。

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