2015年8月11日火曜日

本日の魔法の呪文 94



"「魔女の宅急便」の世界においては、すべての好意がそのまま受け入れられることが理想とされている。しかし、それは現実には不可能だ。それでも、映画のなかで理想が実現されているようにみえるのは、おばあさんの例(※ にしんのパイのエピソード)が示すように、真実が巧妙に隠され、登場人物が現実と直面しないでもすむように仕組まれているからである。"

映画は父を殺すためにある 嶋田裕巳 P99より抜粋

わたしは、アニメはあまり好きではないけれど、
ジブリの作品は全部ではないがわりとみている。
が、ジブリの作品をみていて常に感じる立ち位置は、
ハラスメントの被害者側、というものだなぁとあらためて思う。

ジブリのスタジオの立地が、ありえないくらい電磁波環境が劣悪(発電所だか変電所の真横)であるということからもいろいろ思うけど、
ジブリの、あまりにもできすぎて美しい高度な芸術の世界観は、
かえって、現実と直面し、現実を変え、
ほんとうに幸せに生きることからどんどん遠ざかるためのツールとして
とても役立ってしまったのではないだろうか。

偶像崇拝のつもりではなく、その奥にある真実を伝えるために技を磨いたのに、
その技に魅了された多くの人々は、そこで思考停止し、
巧妙に隠された(というか、本人がみたくなかった)現実はそのままという、、、


今のわたしが立ち向かわなければならないテーマは、
どうしても分かり合うことができない、分かり合うキャパがない存在に、
無駄に執着しないということかもしれない。

どんどん低いところに降りていき、手取り足取り丁寧に指南すればするほど、
相手はぼんやりと曲解するだけなのだ。

そうしたい、と思ってしまう理由は、
自分の中に、そうしないと自分の存在価値が見いだせない、という
おかしな思い込みがあるからかもしれない。


そんな奴らを説得しなくても、
ただ楽しく生きればいい。毎日の、めまぐるしく切り替わる様々な感情を、
抱くときに罪悪感を感じる必要なく、淡々と全てを味わえばいい。


「それをひととおり味わって生きてごらんよ」と
言ってくれているところまで、やっとたどりついたのかも。









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