2015年8月10日月曜日

本日の魔法の呪文 93



"おとなは自分の子どもの魂を、
まるで自分の持ち物のように扱い、
そのやり方は全体主義国家が自国民を扱うやり方と変わるところがありません。
けれども、たとえいかなる全体主義国家であろうと、
おとなは、赤ん坊の権利を無視する親の手にかかった赤ん坊のように、
何もかも好き勝手にされてしまうということはありません。
私たちが幼い子どもの苦しみに対して敏感になろうとしない限り、
このような、おとなの子どもに対する専横は、
誰にも気づかれず、誰もまともに問題にせず、いつも無視されつづけることでしょう。
「たかが子ども」の問題なのですから。"

才能ある子のドラマ アリス・ミラー著 山下公子 訳 P123より抜粋


ほんとうに憎むべき存在、
許してはならない存在
(というか、行為)
を見据えることができない限り、
自分もまた、理不尽な加害的行為を無意識にやってしまう側になる。

この、自分の中に深く刻まれている、過去だけれども幻影として今もとてもリアルである
「やるかやられるか」の感覚。

この感覚から逃げようとしてしまうと、
一気に無気力になったり、人生がどうでもよく感じられたりする。

楽しく生きよう、という生の感覚を思いだすときに必ず、
この痛みを伴う、決して思いだしたくない感覚が連動してくることから、
たぶん一生逃げることはできない。

だからこそ、その感覚から逃げちゃいけないのかもしれないね。

それが、キリスト教における十字架のようなものかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿