2015年8月27日木曜日

本日の魔法の呪文 105



"易の言葉に「方以類聚,物以群分,吉凶生矣」
(方は類をもってあつまり、物は群をもって分れ吉凶生ず)
というのがある。
もともと天地の陰陽には吉と凶などなく、
形と心をもつ人間によって、初めて吉凶が生れるというわけである。

P65

【問】「私は食を慎しむことはたやすいけれど、遊所行きを止める事は難しく悩んでいます」

【答】「それは大いに結構なことだ。何と言っても慎みの第一は食である。
遊所に行って散財し、放蕩と言っても、
食を慎んでいれば家が失くなったり、病気になることはなく、
長生きしておのずから富むのである。
食は本である。
その本を厳しく慎めば外のことは枝であり論ずるに足りない。
今後とも食を慎んで遊所に行きなさい。食を慎んでさえおればすべての凶悪は許される。

P77

食は運命を左右する
水野南北著  玉井豊一郎 訳

水野南北の、この玉井氏による訳は、100%賛同するわけではないけれど、
陰陽論としてみたときに理に適った説明がいくつかあるので抜粋してあげてみる。

1つめ、P65からの引用は、
結局、自分側が電極としてプラスかマイナスかどちらなのかによって、
外的要因が自分とあわさったときに、結果どう作用するかは変わるということだと思う。
万人にとっての同じ結果をもたらす外的要因というものはないのだよね。

2つめ、P77からの引用、
これ、わたしの見解としては、ほんまに菜食が美味しいと思えるならば、
遊所に通うことが楽しいと思えなくなるはずやねんけどな、、、
金で買える肉体の快楽(プラスエントロピー)が心地よいということは、酸化のエネルギー
(心と肉体が分離したエネルギー)が心地よいと思っているということ。

いくら菜食をしていたところで、ほんとは肉が食べたい人なんじゃないのか?
そういう気持ちなのに、かたちだけ肉を避けたところで、作用は形骸化してしまう。

まあ、確かに後半に書かれている、
食以外のことは枝であるというのはまさしくそうで、
ここがちゃんとしてる人は、
なーんも説明がいらん。勝手に悟っていく(笑)
健康に良い、とあたまでっかちに菜食をはじめた人ではなく、
まずくて、においが気持ち悪くて食べられなくなった系の人々はとくにそうだと思う。

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