2015年8月24日月曜日

本日の魔法の呪文 104



"過去にとらわれている人間がまぎれもなく過去を一切持ち合せていないことは、
奇妙な矛盾である。
そうした人間は原初的な苦痛によって、過去から切り離されているのである。
そこで彼は、自分の歴史を無意識のうちに毎日、行動にうつしつづけなければならない。
それがために彼は、生涯を通じて大きく変ることはない。
彼は四十歳になっても十二歳のときとさして変わらない。
彼は自分の闘争のなかを左右にぬって歩き、
神経症的な儀式をおこない、
一言ごとに自分の神経症のことを臭わせ、
小さなときの家庭の状況を再構成する新しい種をたえず見つけ出している。

正常な人間は歴史を、自己の連続性を、持ちそなえているし、
それは苦痛によって短絡していない。正常な人間は、自分のすべてを持ちそなえている。"

アーサー・ヤノフ 原初からの叫び P350より抜粋

わたしが小さな頃から、脳裏にいつもちらついていたのが、巻物のような年表のイメージであり、
そしてそれは20歳をすぎたあたりからぷっつりと闇の中に溶けてしまい、そこから先がない、というものだった。
そのあたりまでは精巧に予定が組まれており、実際そのとおりにばかみたいに歩んだ。
そして、そのとおりに、ぷっつりとその先がなくなった。

今思えば、パラサイトの巻物だったのかもしれない(笑)

その頃までの人生と、その後の人生に、わたしは連続性がない。

息子との暮らしの積み重ねは、100%わたしが納得してずっと積み重ねてきたものだ。
産むときから、全部自分で納得した上で生み、そのことで生じた不利益や大変さを全部引き受けてきた代わりに、その果実も全部得てきている。

積み重ねることの尊さやあたたかみというものを、わたしは20歳をすぎるまで知らなかった。
いつもいつも、すりかえることで様々なことが断絶され、すりかえることでほっとする、
その連続で生きてきたからだ。


息子との暮らしが長くなり、わたしが時々、彼との暮らしにおける連続性を軽視しすぎるときがあるのだけれども、息子は等身大に、その尊さをかたときも忘れていない。

その証拠は、わたしがだめな母親であろうと、優しい母親であろうと、怒りん坊であろうと、
彼はいつもわたしに信頼を寄せてくれている。

あたたかな積み重ねというものは、やったらやった分ちゃんと報われるよ。

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