2015年7月14日火曜日

本日の魔法の呪文 66


"先ほどの専門人の問題ですが、
戦前から戦後にかけて知的な世界で共有されていた感覚として、
マックス・ウェーバーの「情熱なき専門人」っていうあの規定がありますね。
『職業としての学問』の中で言っている。
つまり近代っていうのは、
情熱なき専門人をつくってしまった。
それが日本の資本主義を支える予備軍を形成していく。
その影の部分をいわば裏側から逆照射したのが賢治の人生だったともいえる。"

デクノボー 宮沢賢治の叫び 山折哲雄× 吉田司 
P221 第六章 「銀河鉄道」で行きたかったところ より抜粋


見える色(光)の種類は、かなり個人差がある、と思う。
デジタルカメラが、
オーブが写り込まないようにするのにかなり開発に時間を要した、
というのを聞いたことがあるけど、
つくづく、色への感性は、そのままその人のキャパそのものかもしれない。

昨日のお絵描きも今日のお絵描きも、
写真にしたらもとのものと色味が全然違う。
昨日のは、あまりにも違いすぎたから、
そのまま誇張してまったく違う色に変換してやったのだ。


そんな感じで、とりまく環境の中に自分をおいたとき、それとの兼ね合いで、
かたちとしての自分がびっくりするほど変化してしまうときがある。

一見まわりに飲まれて流されているかのようで、
実ははっきりかたちとして変わる方が、本人らしさを守ることになるときがある。
そのことを恐れさえしなければ、
いつでも自分としてあたたかく楽しく、安定的に生きられる。

そんなことをあらためて思う。










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