"ぼくは、ずっと、お菓子屋さんにあこがれていたんだ。
シャーベット・サッカーやキャラメル・ファッジ、
ロシア風タフィー、砂糖スノーター、
バター・ガムボールなんかのいろんなすばらしいお菓子が、
床から天井までぎっしりつまっているお菓子屋さんを、
ぼくは夢みていた。
ああ、このおんぼろグラバーがぼくのものだったら、
ぜったいに手放したりはしなかったのに!"
こちらゆかいな窓ふき会社 ロアルド・ダール作 清水達也・清水奈緒子 訳 P6より抜粋
アンスクーリングに限らず、
インナーチャイルドを健全に取り戻す過程で大事なポイントに、
「アメと鞭」の世界から脱する、ということがある。
ロアルド・ダールの、強烈に甘ったるい白砂糖とバターたっぷりな世界は、
まさにこの、鞭に対比した「アメ」の役割としてかっこうの存在だったのだろうなと思う。
ダールの作品は、イギリスの児童文学界において、
ハリーポッターが登場するまでずっと不動の一位をキープしていたのも、
イギリスの教育事情を考えると納得、な気がする。
わたしは子どもの頃、
強烈なアメと鞭の世界におり、
何かにたずさわることそのものへの喜びではなく、
そのことへの苦痛への代償として強力なアメを求めており、
しかもそれに歯止めが効かなかったように思う。
「〇〇をしたらお菓子をあげよう、ご褒美をあげよう、お小遣いをあげよう」
という動機でなされた「〇〇」は、本人にとってまったく身にならない。喜びを生まない。
なのに、「〇〇」に長けていく。
これがまさに黒魔術のはじまりなんですよね。
長い時間をかけ、この「〇〇」に携われば携わるほど、
元を取らねばという執着が生まれる。
その苦痛をやわらげゆるめるために、「アメ」に匹敵する存在が必要になる。
大人にとってそのひとつに、権力があるだろう。
そのことを、楽しいと思えない人がたくさん増えればいいよ。
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