2015年7月11日土曜日

本日の魔法の呪文 63



"腸の痛みは、無視することのできないメッセージを伝えるために
からだが利用する信号である。
つまり、痛みもまた知覚のひとつの形なのである。
生理学的に見れば、痛みの経路は、
ある情報を伝える直接的な経路を私たちがふさいでしまったとき、
その情報を伝えてくれる迂回路である。
痛みは、私たちが第一の伝達経路を閉じてしまったときに警告してくれる
第二の知覚経路なのである。
無視したままでは危険な情報を、痛みが私たちに伝えてくれるのである。"

ガボール・マテ 身体が「ノー」と言うとき 第11章 単なる思い込みにすぎない P226より抜粋


今日はほんとは、外でスケッチして、色塗りもしてみたのだけど、
ああなんか違うと思ってやめました。

そういう、思いっきり子どもじみた動機に基づき、
気分屋に徹するということは愚かであり爽快だ。
(自分の責任の元...)

そういう意味で、安易にこの「痛み」「不快感」「安易に身体が動けない」
ということを解決してしまうことは、ほんとうに危険だと思っている。

その身体が発している「ノー」には、ほんとうに深い意味がある。

そこを無視して、安易にその信号を消し、症状を消し、
元のように身体が元気に動けることが「癒える」ことだと勘違いしている人ばかりだ。

だから、どう考えてもおかしなプロジェクトがまかり通ったりしてしまう。
そういうセンサーがぶっ壊れているから。

わたしが次に進むために、耳を傾けて知らなければならないことは、
あと何と何と何なのかな?

とりあえずやれることをやって、ベストを尽くしながら、
もしかしたら一生わからないままなのかもしれない。

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