2015年11月7日土曜日

本日の魔法の呪文 130



"イエスが言った。「パリサイ人や律法学者たちは知識の鍵を受けたが、それを隠した。彼らも入らないばかりか、入ろうとする人々をそうさせなかった。しかしあなたがたは、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」
(トマスの福音書 39)

まず、「知識の鍵」とは何を指しているのであろうか。それはわれわれが神の国に入るマスターキーはただ一つしかない、それは自己認識であるということだ。

(略)

そこにもし誰かが介在してくるとしたら、

パリサイ人はもちろん、たとえそれが神であっても、
エックハルトがその神すら後にして行かねばならないと言い、
また禅が、師に会っては師を殺し、仏に会っては仏を殺すと言ったように、
認識への道を塞ぐバリアーでしかないだろう。

われわれは蛇のように賢く振る舞い、
鳩のように素直に「自己の本性」(『この世の起源について』)へと独り辿らねばならないのだ。

(略)


このように、安易に他者依存に流れることを許さないところに宗教における最も厳しい現実がある。"

可藤豊文 自己認識への道 禅とキリスト教 P245~6 より抜粋


このトマスの福音書も、ナグ・ハマディ文書に含まれる外典の一部。


マタイによる福音書にも、この蛇と鳩の話がでてくるのだけど、
どうにもこれだと、前後関係がよくわからない。
トマスの福音書でこうやって書かれてると、納得です。


「彼らも入らない」というのがポイント。
△の内側(パラサイト)にいる人は誰も∞がわからない、という話そのものかなと。


蛇のような賢さ、というのをいったいどこに活用するかというのがポイント。
他人に騙されないように、ではなくて、
最大の詐欺師は自分のエゴと検閲官。


究極的には、他人に騙されて、その結果が生じたとしても、
それは自分にとって「騙された」ことに、本質的にはならないんだなー(笑)


はは、やっぱり禅問答になってきますね。

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